隊員の内面に踏み込んだ描写をせず、関大尉の場合のように嘘を書く理由は、ひとつしか考えられません。

特攻隊の全員が志願なら、自分達上官の責任は免除されます。上官が止めても、「私を」「私を」と志願が殺到したのなら、上官には「特攻の責任」は生まれません。が、命令ならば、戦後、おめおめと生き延びていたことを責められてしまいます。多くの上官は、「私もあとに続く」とか「最後の一機で私も特攻する」と演説していたのです。

大西瀧治郎中将のように、戦後自刃しなかった司令官達は、ほとんどが「すべての特攻は志願だった」と証言します。私の意志と責任とはなんの関係もないのだと。

秘密裏に「回収」された隊員たちの遺書

2012年8月28日に放送されたNHK『クローズアップ現代』は奇妙な内容でした。海上自衛隊第一術科学校の倉庫の奥深くから大量の特攻隊員の遺書が見つかったことが始まりでした。

鴻上尚史『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』(講談社)

なぜここにあるのかと調べていくうちに、1949年(昭和24年)、特攻隊員の遺書を遺族から回収して歩いた男がいたことが分かります。男は、特務機関の一員だと名乗り、このことは口外しないようにと遺族達に言いました。もちろん、戦後ですから、もう特務機関などというものは存在しません。

集められた遺書は、1000通余り。2000近くの遺族を訪ね歩いていました。どうしても遺書を渡すのが嫌だと拒否した場合は、その場で書き写したそうです。けれど、多くの遺族は従いました。

発見された遺書を初めて見た遺族が番組で紹介されていました。両親が死に、遺書を渡していたことを知らず、初めて兄の自筆の遺書を見た妹でした。

60年以上、大切な遺書は倉庫の奥で忘れられていたのです。

遺書に押されていた「二復」の文字から、この男は海軍を事実上引き継ぐ組織である「第二復員省」から情報をもらって遺族を訪ね歩いていたと分かりました。

その男と頻繁にやりとりをしていたのが猪口力平でした。

なんのために遺書を集めたのか、何が目的だったのか。

1951年(昭和26年)、特攻作戦や軍部への批判が高まっていた時に、『神風特別攻撃隊』は、その風潮に対抗するように出版されました。

この本の中には、特攻が現場の兵士達の熱望によって生まれ、出撃の志願者が後を絶たなかったということの裏付けとして、遺書7通が引用されています。

これらは、すべてこの時に回収された遺書でした。