東京モーターショーでマツダが発表したコンセプトカーは、同社がこれまで進めてきた「魂動デザイン」を深化させたものになっていた。「ものには魂が宿る」という日本古来の美意識を表現しようと試行錯誤を繰り返す過程で、クルマに命を吹き込もうと社員の合言葉になったのが「背骨が通っているか」だったという。マツダ車のデザインを掘り下げる本シリーズは今回がラスト、デザイン部門トップ・前田育男常務のインタビューを池田直渡氏との対談形式でお届けします(後編、全2回)。
2017年東京モーターショーで発表したコンセプトモデル「魁 CONCEPT」。以前からマツダはコンセプトカーに和な名前を付けてきた。

マツダのデザインコンセプト車に「和」な名前が多い理由

【池田】マツダという会社は昔からデザイン・コンセプトが好きな印象があります。多分2003年の『鷲羽』『KUSABI(楔)』『IBUKI(息吹)』あたりからなのですが、日本語の名前のモデルが続いていますね。これは日本独自の「和」デザインを追求したいという思いの現れなのでしょうか?

【前田】日本に目を向けたというのは実はもっと前のタイミングで、初代ロードスター(1989年)のデザインで福田成徳さんが、ボディー全体のシェイプを「能面」からイメージしたり、テールランプの形を両替商のマークから作り出したりしています。その時から日本の美意識に着目しようという動きは始まっています。

【池田】日本的なデザインというのは、日本の自動車メーカーとしては悲願だと思っていいのでしょうか?

【前田】当然、それはありますよね。ただ解釈を表層的、表面的なものでやるか、日本の美意識の本当の根底にあるものを掘り起こしてやるかは別のものです。コンセプトカーの名前を日本語にするとか、能面の形をデザインに使うとか、あるいはローレンス(ヴァン・デン・アッカー。前出)が日本庭園の枯山水をドアにプレスしたりとか、それはやはり表層的なものだと思うんですよ。マツダはようやく日本の美意識の根底にあるものでデザインを始めたところです。例えばローレンスがこだわった日本庭園にしても、日本人から見れば、あのコンパクトなサイズの庭に、あれだけ計算し尽くされた石の置き方をして、そこに宇宙を閉じ込める。あのスピリットみたいなところに感動するわけで、砂の模様はやっぱり表層にすぎないと思います。

【池田】なるほど。日本庭園は作為による不作為みたいなものですよね。とことん計算して、計算したように見えないものを作る。

【前田】はい。とても精緻で精密なものです。そういうものを人間の手で研ぎ澄ますというところに、日本の美意識というか、ものづくりみたいなものはあるんだと思います。

【池田】西洋のデザインが「黄金比」的な数学であるとしたら、日本のデザインは「素数」みたいなものじゃないかと私は思っています。そういう割り切れない、あるいは計算がぴったり行かないところを意図的に作り出すということじゃないでしょうか?

【前田】そう、その通りです。だから「間」みたいなものとか、建築で言うと「縁側」みたいなもの。外と中を遮蔽(しゃへい)しない。しかもそれは適当にやっていないんです。すごく精密に、計算してやっている。伝統的な建造物で言えば光をものすごくコントロールして、光がどう通ってくるかで奥行きを感じさせるとか、ものすごく緻密で、奥ゆかしいけれど奥深いんです。