終始盛り上がりを欠いた民進党代表選は、前原誠司元外相が枝野幸男元官房長官に勝って終わった。勝った前原氏と敗れた枝野氏は、1933年の衆院選で、細川護熙氏率いる日本新党から出馬して当選した同期の桜だった。そういえば、小池百合子東京都知事も日本新党出身。政府側に目を転じれば茂木敏充・経済財政担当相も同じだ。与党も、野党も、地方自治の現場でも、右を向いても左を向いても日本新党OB、OGが幅を利かせている。

「93年当選組」閣僚経験者は15人

日本新党は、25年前の1992年、雑誌に「『自由社会連合』結党宣言」を発表した細川氏が結党。7月の参院選で細川氏、小池氏ら4人が当選した。この段階ではブームも「中ぐらい」だったが、翌93年の衆院選で38人(追加公認も含む)が当選。しかも選挙後の7月には党代表の細川氏が首相に就任した。まさにホップ、ステップ、ジャンプの躍進だった。

ちなみに日本新党は94年の暮れに解党しているので、日本新党で国政選挙を戦ったのは92年参院選と93年衆院選だけだ。

2017年民進党代表選挙。外国特派員協会で会見する前原誠司元外相(右)と枝野幸男元官房長官(左)。(2017年8月29日。写真=つのだよしお/アフロ)

93年に日本新党で当選した議員は多士済々だ。細川氏以外にもう1人、首相経験者がいる。民主党政権最後の宰相・野田佳彦だ。この他、閣僚経験者は、小池、前原、枝野、茂木氏以外にも経済産業相や民主党代表を歴任した海江田万里氏、官房長官経験者の藤村修氏、総務相を務めた樽床伸二氏、石破茂氏の側近で環境相経験者の鴨下一郎氏、五輪担当相を務めた遠藤利明氏らがいる。首相や閣僚を経験したのは38人の中で15人にのぼる。

首長経験者も豊富だ。現職知事は小池氏以外にも、愛媛県知事の中村時広氏がいる。河村たかし氏は名古屋市長。横浜市長を務めた中田宏氏、福岡市長を務めた山崎広太郎氏、杉並区長を務めた山田宏氏も日本新党OBだ。

個性的な存在として記憶に残る政治家もいる。自らがん患者であることをカミングアウトしたうえでがん対策基本法の制定に尽力した山本孝史氏、「爆弾発言男」として鋭い質問を連発しながらテロにより命を落とした石井紘基氏らもいる。政治になじみのない人でも、名前を聞けば顔が浮かぶ人ばかりではないか。

「掛け持ち」していた小池都知事

今も活躍する日本新党組は

(1)新進党などを経て民主党に合流し2009年の民主党政権の中核をなした人たち(前原氏、枝野氏、野田氏ら)
(2)自民党に移籍し、保守政治家として馬齢を重ねた人たち(茂木氏、鴨下氏、遠藤氏ら)
(3)国政から地方へ転身した人たち(中村氏、河村氏ら)

という3つに分類できる。

小池氏は自民党に移り閣僚や党幹部を歴任してから都知事に転身。(2)グループ、(3)グループの両方を掛け持ちしていることになる。