日本女子サッカー界において常に開拓者
女子サッカー界にとって、4年間の強化の集大成となるのがオリンピックである。アジア最終予選に残っている4チームはレギュレーションで決められた対戦国と2月24日、28日にホーム&アウェイ方式で勝利したチームがパリオリンピックへの出場権を得る。なでしこジャパンも28日の国立競技場で歓喜の瞬間を迎えるべく、最後の追い込みに入っている。
そしてもう一人、反対の組で同じくパリ行きをかけた大一番に挑む日本人女性監督がいる。それがウズベキスタンを率いる本田美登里監督だ。
日本女子サッカー代表創成期にDFとして活躍し、その後新設された岡山湯郷Belleの監督に就任、2011年、なでしこジャパンがドイツW杯で世界一になった際には、彼女が育てた宮間あや、福元美穂という2人の選手がその大舞台で活躍した。
AC長野パルセイロ・レディース指揮時代は地域との深いつながりを築き、なでしこリーグトップの観客動員を誇った。当時育てた選手たちの多くは現在WEリーグ(日本女子プロサッカーリーグ)の各チームで活躍している。
代表チームを指導するために必須の、日本サッカー協会公認の最高位であるS級ライセンスを女性として初めて取得したのも彼女だ。本田美登里という人は、日本の女子サッカー界において常に開拓者であり続けてきた。
30年前の日本と同じ環境
女子サッカー未開の国、ウズベキスタンの女子代表チームの監督に本田氏が就任したのは2022年1月のこと。就任当初から「30年前の日本のよう」だと彼女は表現していた。「私も若い頃、『いつまでサッカーやってるの?』『結婚すれば?』『食べていけないでしょ?』って言われ続けてきましたけど、今まさにウズベキスタンはそんな状況です」。20歳を過ぎると女性は結婚し、家庭に入るのが当然であり、家族もそれを望む。
真剣にサッカーに向き合うこととは――本田氏が真っ先に取り組んだのは時間厳守。とにかく時間にルーズで予定通りに事が進まない。それは選手たちに限ったことではなく、スタッフにしても同様だった。
ピッチ内では、まず中心になると思われる選手、上達したい意思の固い選手たちをロックオン。波に乗りやすい国民性を考慮し、スコアの可能性が上がるエリアの攻略法を伝授していった。選手たちがステップアップしていくと同時に、中央アジア大会での優勝や圧倒的な得点力での得点王、MVP、国内リーグで最優秀賞など、目に見えて成果が表れ始めた。
「サボったり、ワガママだったり、運動量が足りなかったりすれば、絶対的なレジェンドであっても代表から外したり、U-20世代の選手を呼ぶこともありました。選手たちは戦々恐々としていたと思いますよ」
確実に上達していく実感が生まれれば、あとは自然にサッカーに向き合うようになる。「結婚をしても、年齢を重ねてもサッカーを続けていいんだという選択肢を見せることが大事。今は結婚しても代表選手として戦い続けてくれる選手も出てきました。恐れられ過ぎてもダメなので、どんな厳しいことでも伝えるときは“笑顔”で! ということは徹底しましたね(笑)」
目標はいきなりパリオリンピック出場
本田監督の取り組みを身近で感じていた人がいる。「選手たちも美登里さんの言葉を聞いて行動していくうちにできることが増えていくし、そばで見ていても選手が変わってきていることがわかります。だけど、小さなこと一つひとつを根気強く示していった美登里さんは本当に大変だったと思います」と話してくれたのは就任当初、通訳としてチームについていたアリエヴァ・マヒリヨさん。
日本での「当たり前」が全く通用しない。すべてにおいて変換と工夫が必要だった。「ただロングボールを蹴って走るサッカーではなく、ちゃんと頭で考えよう。どうしてここにパスをするのか、他の選手はどう動くのか……。それはそれは丁寧に伝えました。ただそれを落とし込むミーティングも、長いと彼女たち飽きちゃうんです(笑)。だから極力短く、端的に。どこまで理解してくれているのか、最初は不安でした」
ウズベキスタンサッカー協会が本田氏へ示した目標は、なんと、パリオリンピック出場。アジアに与えられている枠はたったの二つだというのに。常にアジアのトップ争いに名を連ねるAランクに入る日本もリオデジャネイロ大会では切符を逃しており、険しく狭き門である。
日本の他にオーストラリア、北朝鮮、中国、韓国などがAランクの実力保持国。そこから少し実力差は開くが一矢報いる可能性を秘めているベトナム、チャイニーズ・タイペイなどがBランク。歩き出したばかりのウズベキスタンの現在地はまだCランクが妥当だろう。
「オリンピック出場なんて6年後くらいの話かなと思ったら、パリ大会だというんです。さすがに現実的ではないですけど、この限られた時間でもやりようによっては爪痕を残すくらいのことはできるんじゃないかとは思ってました」
本田氏の言葉通り、長らく変わることがなかったアジアの女子サッカーの勢力図をこの半年でウズベキスタンが塗り替え始めた。
2023年10月、中国で行われたアジア競技大会で、初出場のウズベキスタンはBランクのチャイニーズ・タイペイに競り勝ち、ベスト4入りを果たしたのだ。さすがに準決勝の北朝鮮戦では8失点を喫してその実力差を見せつけられたが、スポーツ大臣が激励に訪れるほどの快挙だった。
そして彼女たちの勢いは衰えることなく、その2週間後、自国で開催されたパリオリンピックアジア2次予選を突破してみせたのである。
誰に対しても平等かつ公平に接する
今回のオリンピック最終予定において、彼女たちにとっての負けられない一戦は、初戦のベトナム戦だった。各グループ1位の座は順当にAランクのチームが持っていく。残された枠は一つ。すべてのグループ2位のうち、勝ち点差や得失点差などで上位1チームに入れば最終予選に進むことができる。
普通に考えればベトナム優勢であることは疑いようもない。それでも、ウズベキスタンは前半につかんだ1点を守り抜き、接戦を制した。その後、実現した日本戦では、日本が最終予選を優位に進めるため大量ゴールを奪わないという選択をしたことで、後味の悪い試合になってしまったが、ウズベキスタンは晴れて過去最高成績のグループ2位となり、最終予選進出を決めた。
就任からわずか2年でここまで押し上げた本田氏の手腕を、代表チーム部長ウスマン・トシェフ氏はこう評価する。
「本田さんの力なら、この(短い)期間で結果を出すには十分だったのではないでしょうか。トレーニングプロセスからそこに臨む選手の態度、規律に至るまで、すべてに変化がありました。彼女の素晴らしいところは誰に対しても平等かつ公平に接するところ。これはチームを作る上でとても大切なことです」
ウズベキスタン中を視察し、原石を探した。70名を超える選手を試し、何とか土台を担えるよう、その原石を磨き続けた2年間だった。
「お国柄でしょうかね、選手たちは本当にポジティブ! 調子に乗るとどこまででも行けそうな空気感になりますが、立て続けに失点すると心が折れるのも速い(苦笑)。ウズベキスタンは中央アジアに位置します。ロシア系、韓国系、中国系、トルコ系……いろんな民族が集まっているのでフィジカル面でもいろんな特長が見られて面白い。そこは日本とは違う魅力の一つですね」
0から1を生み出す。とてつもないパワーを要する作業を、何度でもチャレンジする本田氏。
「別にそれが好きってわけじゃない! 好きなところで強化合宿ができて、どんな選手でも呼んでいい……そんな環境でチーム作りしてみたいですよ(笑)。でも結局気づくと“途上”な環境に身を置いているんですよね。自分の年齢を考えて振り返ってみると、結局はそういうこと(好き)なんでしょうね(笑)」
「いつも私はあまり期待されてない」
誰かが育てた優秀な選手を集めてオールスターのようなチーム作り? 想像がつかない。おそらく彼女はそこに長く興味を見いだせないだろう。生み出すことの大変さより、その面白みを知り尽くしているのだから。しかし、母国でない国を背負うとはどんな心持ちになるのだろうか。
「正直なところ、プレッシャーはあまり感じないんですよ。いつも私は期待をあまりされてない状況がすごく多い。期待されてない中の女子サッカー、期待をされてない中でのS級ライセンス取得、期待されてない中でのウズベキスタン監督……とにかく勝ってもらわないと困るんだなんていうプレッシャーの中でスタートしていない。でも国旗を見ながらウズベキスタンの国歌斉唱を聞くと、国を背負っていることを実感します。日本人を代表してここに立っていると思っているし、日本の女性指導者ってこんなもんかとは思われたくないから、その自覚は常に持っています」
本田氏のウズベキスタンでの集大成である最終予選直前には、モロッコ遠征にも出て強化を図ってきた。彼女らが立ち向かうのは強豪オーストラリア。誰の目にも力の差は歴然としている。けれど試合はやってみなければわからない。
「ジャイアントキリングが起きる可能性って、相手よりも力が劣る場合は、体力が上回ってないとそれは起きないじゃないですか。2カ月でどれだけのものになるかはわからないけど、走りはずっと続けてきています。きっと守備の時間がほとんどだろうし、それこそハーフウェーラインを何回超えることができるか、って話だと思うんです。失点を抑えることはしないといけないけど、カウンター攻撃は最後まで狙い続けていたいです」
「彼女たちのポテンシャルはすごいんです」
本田氏がウズベキスタンに残そうとしているものは、間違いなくこの国の女子サッカーのスタート地点になるに違いない。
「彼女たちのポテンシャルはすごいんです。この2年、そしてこの最終予選はあくまでも“きっかけ”に過ぎません。ここからしっかり強化を続けていけば、数年後にはワールドカップに出場する国になるはず。オーストラリアは強いですよ。そこで自分たちが積み上げてきたものを少しでも出す意地があるか、選手たちにはそこを見せてほしいですね」
「楽しむ余裕なんてない!」と苦笑う本田氏だが、チャレンジャーだからこその強みもある。カメラを向ければとびっきりの弾ける笑顔を投げかけてくれるウズベキスタンの選手たち。移動のバス内では音楽が鳴り響き、常にハイテンションだ。ひとたびピッチで流れをつかむと、それは楽しそうにうれしそうにゴールを目指す。
何かやってくれるのではないか、そんな期待を寄せたくなるチームだ。この2連戦は苦しい時間帯が長く続くだろう。けれど、ウズベキスタン女子サッカーの歩みをとどまらせない、この2年間を凝縮したような、最終予選はそんな戦いにしてほしい。