折り曲げも持ち運びも自由の革命的太陽電池
「ペロブスカイト太陽電池」こそが次世代エネルギーの最右翼とにわかに注目を浴び始めている。基板の上に1000分の1ミリにも満たないペロブスカイトを被膜したもので、軽くて曲げられる厚さわずか8分の1ミリほどもない新型の太陽電池だ。ここ数年で急速に研究が進み、いまや雪崩を打って世界中の大学、産業が実現化に向けて動き出している。
従来のシリコン太陽電池は、その大きさと重量からどうしても設置場所が休耕田、屋根などに限られてしまう。その点、ペロブスカイト太陽電池は、屋根がなくても、マンションやアパートのベランダ、窓などで簡単に使える。しかも、曇りの日であっても発電できる。
災害時には持ち運びも可能だ。普及すれば、一家に一台というデバイスなのだ。ウクライナ侵略に端を発した世界的なエネルギー危機もまた、この極めて簡易で利便性の高いデバイスへの期待感を高める。
そんな世界中が注目する次世代エネルギーとなったペロブスカイト太陽電池の生みの親は、日本の宮坂力さん(69)。富士フイルムに20年在籍したのち、桐蔭横浜大学に移って研究を続けてきた工学博士だ。
すべて国内の材料だけで製造可能
宮坂さんは、東大大学院生時代から「色素増感太陽電池」の研究に長らく携わってきた。写真感光材料の感度を色素によって高める原理を応用した太陽電池だ。その色素をペロブスカイトに変えて実験し始めたのは2006年のこと。
当初は発電効率も低く、注目されることのない研究だったが、発電効率が上がり始めると、たちまち世界中の研究者たちがわれ先にと乗り出し、新エネルギーの有望株となった。そして、この1、2年でついに量産化の道筋が見えてきたのだ。
ペロブスカイト太陽電池は、資源に乏しい日本にとっても救世主となるエネルギー源だ。なぜならば、他のエネルギーと違って、日本国内の材料と技術だけでつくることができるからだ。
ペロブスカイトの合成原料である鉛は地中から収集できるし、ハロゲンを構成するヨウ素にいたっては世界第2位の生産国なのである。これまでのシリコン太陽電池のシリコンは、すべて輸入だったわけで、この点でもペロブスカイトがいかに日本に適したエネルギー源であるかがわかる。
2006年、横浜で始まった研究は世界中で3万人に拡大
ペロブスカイトはもともとは帯電する性質を持った鉱物(酸化物)で、インクジェットプリンタの印刷ヘッドなどデバイスで使われていた。太陽電池で用いるのは、これを人工的につくった合成物(ハロゲン化物)だ。
その発光特性を調べていた修士課程の学生(当時)、小島陽広さんが「色素増感」を「ペロブスカイト」に換えて実験したいと宮坂さんの研究室にやってきたことで、2006年、ひっそりと研究は始まった。
以来、研究を重ねるにつれ、内外の研究者が少しずつ増え始め、発電効率は徐々に上がっていく。その後の16年間で、1%に満たなかった発電効率は、最大で25.7%に到達(シリコン太陽電池は26.1%)。いよいよ実用化、大量生産へと動き始めたのだ。
わずか数名の研究者から始まった日本発の新エネルギーは、瞬く間に世界各国へと広がり、「いまや3万人ぐらいの人が研究している」(宮坂さん)と言われるまでになっている。とりわけ、中国の加速ぶりは著しく、政府の支援で、一気に実用化に向けて動き出し、すでに大量生産も始まらんとしている。
ペロブスカイト太陽電池がいよいよ現実化してきたということもあって、宮坂さんは、いま、多忙を極めている。家電、自動車、船舶など各企業からの問い合わせ、面談、レクチャーの要請が絶えないのだ。
「政府が『ゼロカーボン政策』を発表(2020年10月の『2050年カーボンニュートラル宣言』。2050年までに温室効果ガスの排出を実質ゼロにすることを掲げた)してからじわじわ増えてきましたね。ペロブスカイトは、これまで学術的な研究が多くて、あまり産業では市民権をとっていないようなところもあったんですが、ゼロカーボン政策で急に身近な技術として知名度が上がってきた。ライフサイクルアセスメントで検索すれば、すぐにあがってくるし、日本で始まった研究で、原料はすべて国内調達ができること、仮に戦争になって鎖国となってもつくれるとメディアに出たりするから、注目を集め始めているのでしょう」(宮坂さん)
「いま量産化しないと、世界との差は埋まらない」
岸田首相が4月4日の「再生可能エネルギー・水素等関係閣僚会議」で「2030年までに普及」の方針を打ち出したが、政府のサポートをはじめとして日本の動きは鈍い。それはやはり、あくまでも既得権益に寄りそわんとする日本のエネルギー政策とも無縁ではないのだろう。宮坂さんは日本の遅れをこう指摘する。
「日本では研究所、大学、企業でデモサンプルは出している。でも、工場のラインを使って、生産工程でつくり始めないと、世界との差は埋まらない。どんなにいいものをデモサンプルとして研究所でつくっても、量産品となるとまた違うから。中国やヨーロッパでは、研究をちょこっとやったら、すぐに工場をつくって生産体制に入っているようなところもある。『宮坂さんたちは何もやらなくていいんです。ただ見ていれば。いずれね、あなたたちがやったことは評価されるから』と言われたりするけど、それは悔しいじゃないですか。だから、いま、もう助成金にも頼らず、自分たちで本気になって量産化しよう、とやっているところです。秋ぐらいまでには、工場ラインでつくったものをお見せできれば、と」(同)
ペロブスカイト太陽電池に弱点はないのか。これまで、主に指摘されてきたことは以下の3つ。長期の風雨に耐えられるかどうかの耐性の問題、発電効率がたとえばシリコン太陽電池に比べどれぐらいかという再現性の問題、そして、使用する鉛の有害性の問題。しかし、研究が進むにつれて、これらの問題は徐々に解決されてきた。唯一、鉛の有害性の問題が残っているといえば残っているわけだが、宮坂さんはこう言う。
「鉛は化学的に機能豊かで、他に置き換えられる材料はない。ただ、これだけ世界に普及して、徐々に市民権をとってきているので、たぶんペロブスカイトで使われる鉛は問題にはならないと考えています。基板の重量を含めて計算すると、使われる鉛の割合は極めて微量ですし、回収するインフラさえきちっと整えればクリアできると思っています」
一方、耐性に関しては、嬉しい誤算もあった。放射線に強いということが実験でわかってきたのだ。つまりそれは、宇宙に出しても耐性が確保されるわけで、宇宙空間での活用にも期待がかかる。
視野に入ってきたノーベル賞
ペロブスカイト太陽電池のような独創的な研究であればあるほど、他の研究者はその原点となる論文を引用する。その結果、ひとつのテーマや研究の裾野は広がっていくわけだが、ペロブスカイト太陽電池に関しては、その発火点となったのは宮坂さんの論文「ペロブスカイトを可視光の増感に用いる太陽電池」だった。
この論文は、2017年、アメリカのクラリベイト・アナリティクス引用栄誉賞を受賞。2022年にはイギリスのランク財団からペロブスカイト太陽電池の開発者として、小島さん他5名とともにランク賞を受賞した。これらの国際的な評価からすると、ノーベル賞も十分視野に入ってきたと見る人は少なくない。
宮坂さんがいま希求するのは、ペロブスカイト太陽電池の一刻も早い普及だ。日本政府や企業の取り組みの遅れを宮坂さんは、なんとか取り戻そうと奮闘する。積極的に取材を受けるのも、ペロブスカイト太陽電池の名前を広めて、普及させたいという一念からだ。
太陽電池の特徴を一般に紹介する本『大発見の舞台裏で! ペロブスカイト太陽電池誕生秘話』も出版した。
「まず、みなさんにペロブスカイトのよさを知ってもらう、感じてもらいたい。この先1年は、いま中国でつくっているモジュールをみなさんにお試しで使ってもらって、ペロブスカイト電池に何ができるかを体感してもらう。ベランダで、アウトドアで、曲げたり貼り付けたりして使ってもらって、利便性を知ってもらうと同時に知名度を上げていく。それをやっているうちに、より高い性能の国産のペロブスカイト太陽電池をつくって、商品化していければ、と思っています」
横浜の小さな研究室から始まった研究は、16年を経て、結実しつつある。あとは、日本がどれだけこの日本発の研究をサポートしていけるかにかかっている。
世界はすでに、大きく動き出している。