所作の神髄を830年の歴史に学ぶ
小笠原家に伝わる礼法は鎌倉時代の武家作法に始まる。
「初代小笠原長清が源頼朝の糾方師範として礼法、弓術、弓馬術を教えたのが始まりです。その後、代々将軍家に仕え、830年以上の間、一子相伝で伝承されてきました」(小笠原流次期宗家・小笠原清基さん)
一般にも門戸が開かれるようになったのは明治時代。そこから小笠原流といえば礼法というイメージが広がった。
武家の質実剛健な文化に即した小笠原流の礼法は、無駄な動きを省き、必要最小限の機能を使う、実用的かつ合理的なところに特徴がある。いわゆる「型」にこだわる形式主義ではなく体や物の機能の本質を見極めて臨機応変に対応する、日常生活とともにある美しい所作だ。
「昨今は、個別の対応や場面に応じた所作の知識を得ようとする傾向がありますが、そこからさまざまな動作に応用・発展はできません。大切なのは本質を捉え、なぜそうするのかという裏づけを理解することにあるのです」
美しい作法に必要なのは体や物の機能への理解
小笠原流礼法の基本は正しい姿勢にある。ここでいう正しい姿勢とは、人の骨格に合った自然な姿勢や動作のこと。見た目の美しさだけを求めるものではない。「例えば、右にあるものは右手で扱う。それが体にとって自然だからです。また、立っているときに手を前で組むこともしません。手を組むのは、長年蓄積した体のゆがみを補正しようとバランスをとったり、不安を振り払おうとしているから。自然に立つとその位置に手はこないのです」
物に対しても機能を損なわない扱い方が基本となる。和室でいえば、素足で上がってはいけないのは皮脂で畳を汚さないため。ストッキングも素足と同等と見なすので、靴下を持参するのが正しい作法だ。
「相手を不快にさせない、心地よくすることが礼法に必要な考え方といえばわかりやすいかもしれません」
物の値段が重要なのではなく、対象を価値のある大切なものとして扱うということ。美しい所作には、想像力と応用力が必要なのだ。
美しい所作は正しい姿勢から生まれる
「立つ」「座る」「歩く」「回る」「お辞儀をする」「物を持つ」。小笠原流ではこの6つを日常動作の基本と位置づける。すべての動きに共通するのは腰が中心になること。反動を使わず、自分の骨格や筋力を使って動かすため、はじめは思うようにいかないことも多いが、体がつくられてくると徐々に正しい姿勢が楽になる。
また、どの動作も“呼吸と動作の一致”が重要だ。呼吸に動作を合わせることで、すべての動きが一定になる。基本動作を押さえ、無駄のない効率的な動きを身につけて美しい所作へと近づけよう。
基本の動作は6つ
▼立つ
正しい立ち姿は、筋肉や内臓に負担のない自然体が基本。土踏まずの前あたりに重心を置き、脊柱の線がまっすぐになるようにバランスをとる。背骨のS字カーブがくずれた猫背や反り腰は肩コリや浅い呼吸の原因にも。スマートフォンの使用で前かがみになっていたら、いったん上を向き、首の後ろ側を緩めてから前を向くと正しい頭の位置に。
▼座る
立った状態から、女性は下座※1の足を半足出し、男性は上座※2の足を半足引いて、息を吸いながら上体を下ろしていく。女性が半足前に出すのは着物の裾が乱れるのを防ぐため。跪座※3の姿勢から正座に移行し、自分から見て腿ももが短く見えるように座る。このとき下腹を締め、両膝をつけることを意識すると◎。腿が長く見えるようなら体が反っているか、腰が引けている証し。
▼歩く
重心は常に体の中心で保ち、腰や腿の力を使って体を揺らさないように足を平行に踏み出す。前の足に重心をかけて後ろの足を運ぶ歩き方では、重心が移動してしまうため体も左右に振れやすくなる。普段靴の踵や側面が擦れやすい人は足先の力だけで歩いている可能性が高いので改善を。正しい歩き方をすれば体幹を鍛えることにもつながる。
▼回る
腰を基点に上座に向かって回るのが原則。大切なのは重心を正しく移行することと、一つ一つの動作を明確に行うこと。腰から回ることで足を踏み替えずに、自然に足が運ばれる。座って回る場合は、跪座の姿勢から回りたい方向の膝を少し上げ、床についている膝で滑らかに押す。このように回るとほこりを立てず、物を運ぶ際も中身が揺れない。
▼お辞儀をする
お辞儀は目線を外して自分の弱い部分を相手に見せることで、あなたを信頼しているという意を表す。頭を下げるのではなく、上体を腰から曲げること(屈体)が重要。これを、息を吸いながら上体を倒し、吐く息でとどまり、再び息を吸いながら上体を上げる三息で行う(礼三息)。呼吸と動作を合わせると、相手との呼吸も合いやすくなる。
▼物を持つ
物を持つときは、腰から指先への連動を意識し、二の腕を使って体全体で持つ円相が基本。体の前で大木を抱えるイメージで、肘は下げずに自然な丸みをつくる。持ち方には「目通り」「肩通り」「乳通り」があり、持っている物との関係性などによって使い分ける。目の高さに持つ目通りは賞状の授与、神棚や神社への供物をささげ持つ場合の姿勢。
和室への出入りの作法
襖の開け方
襖は、「体の中心より右にあるものは右手、左にあるものは左手で」を基本に開閉する。襖や雨戸など日本家屋の引き戸は、取っ手のやや下部に手を添えると開閉の動作がスムーズに。開けて入るなどの過程の動作を座って行う場合は、正座ではなく跪座の姿勢で。
1980年、東京都生まれ。31世宗家小笠原清忠氏の長男。3歳で稽古を始め、小学校5年生で鶴岡八幡宮の流鏑馬射手を務める。大阪大学基礎工学部卒業後、筑波大学大学院で博士課程(神経科学)修了。現在、製薬会社に勤務しながら、流儀を次世代へと伝承している。著書に『かしこい子どもに育つ礼儀と作法』(方丈社)など。