広い国土で発達した「遠距離教育」
日本の20倍の国土を持つオーストラリアの人口は、沿岸部に集中しています。とはいえ内陸部はまったく人がいない砂漠というわけではなく、主要産業の一つである肉牛を育てる、広大な牧場が広がっています。隣の家までも数十キロ、最寄りの町や学校へは数百キロという牧場も珍しくありません。
牧場に住む子どもたちは、毎日通学するのが困難なこともあります。このため、小学生から寮のある小学校で寮生活を送る子どももいますが、「ディスタンスエデュケーション」(遠距離教育)による自宅学習で義務教育課程を済ませる子どももたくさんいます。
郵便で始まりインターネットに進化
筆者が住む、オーストラリア北東部にあるクイーンズランド州でこうした在宅教育が始まったのは、記録によると、今から約100年前の1922年です。当時は先生との郵便のやりとりによる通信教育が中心だったようで、できることも限られていたでしょう。
より本格的な在宅教育が可能になったのは、1960年代。ラジオや無線通信による授業が始まってからです。この「スクール・オブ・ジ・エア」は、1951年に、オーストラリア中部のアリススプリングスで誕生し、その後オーストラリア各地にも設立されてクイーンズランド州でも始まりました。子どもたちは郵便で届く教材を使い、短波ラジオや無線を使って先生やクラスメートと連絡を取り合いながら学びました。その後、電話でのマンツーマンレッスンも加わり、現在はインターネットを使った学習が中心になっています。
最初は、学校から離れたところに住む子どもや、親の職業が旅芸人や行商などで各地を転々とする子どもを対象としたものだったのですが、現在では「親の転勤で海外に住んでいるが、現地に英語の学校がない」「集団生活になじめない」「不登校」「音楽や芸術などの分野に特異な才能を持ち、通学よりもそのレッスンにより多くの時間を割きたい」などのさまざまな理由で、児童・生徒が学んでいます。
在宅教育専門の遠距離教育校
現在クイーンズランド州内には、7つの公立遠距離教育校があり、私立校の中にも実施しているところがあります。そこでは、さまざまなスタイルの授業が行われています。
テレビ会議システムを使って複数の子どもたちが参加する授業、テレビ電話を使った1対1の個別指導があるほか、図工や美術の授業では課題が与えられ、それぞれが好きな時間に作品を仕上げて先生に見てもらいます。
担任の先生やクラスメートもいます。メールで担任の先生に学習や生活の相談に乗ってもらうこともできますし、休み時間にチャットやビデオ通話などでクラスメートとおしゃべりを楽しむこともできます。
多くの遠距離教育校では年に2度程度、校舎に子どもたちが集まります。理科の実験など、専用の設備や先生の監督が必要な勉強をしたり、みんなで協力して課題を解決するグルーブワークに取り組んだり、体育でチームスポーツをしたりと、「在宅学習ではできないこと」に取り組むのです。子どもたちにとってなにより楽しみなのは、ふだんはパソコン画面を通じてしか会えない先生やクラスメートと、顔を合わせておしゃべりをすることだそうです。
コロナ休校で、遠距離教育は広がったか
学校教育制度の中に、これほど遠距離教育が根付いているオーストラリアですが、コロナ休校では、実はそれほど活かされているようには見えませんでした。
私が住むクイーンズランド州で、休校が始まったのは3月30日です。学校はもともと、4月4日から19日まで「秋休み」(イースター<復活祭>に合わせた休暇)が予定されていたので、多くの人たちは「秋休みが終わるころには再開するだろう」と思っていました。
しかし、秋休みが終わってもコロナは収束せず、そのまま休校が続きました。ただし両親とも在宅勤務ができない、医療従事者やスーパーの従業員などの「エッセンシャルワーカー」の子どもや、貧困、育児放棄の可能性があるなどのリスクがある子ども、心身の障害などで特にサポートが必要とされる子どもたちだけは、通学が認められていました。
「こんなときこそ遠距離教育システムを活用しては」と思うかもしれませんが、ことはそう簡単ではありません。オーストラリアの遠距離教育は、遠距離教育校だけで行われていて、日ごろほかの小学校、中学校や高校で実施されていたわけではありません。遠距離教育校で培われてきたノウハウやリモート教育の仕組みが、他の学校に共有されているわけではないのです。そこは「宝の持ち腐れ」と言えるかもしれません。
「IT教育先進国」オーストラリア
遠距離教育校以外の学校での、休校中の学習についての対応はさまざまでした。日本では、コロナ休校で学校現場でのIT環境整備の遅れに注目が集まっているようですが、IT環境が整ったオーストラリアの学校でも、休校中に必ずしもオンライン授業が行われたというわけではありません。学校や先生によって大きな開きがあり、そこは日本と似た状況だったと言えるかもしれません。
実はオーストラリアは、「IT教育先進国」の一つ。2008年に当時の首相が提唱した「デジタル教育改革」が始まり、2010年時点では既に、6~7歳の子どものうち約29%は、国語、算数、理科の授業で週3回以上コンピューターを利用。週1~2回利用する子どもは約50%おり、合わせると約80%を占めていました。また図工ではデザインやアニメーション作成、音楽では作曲などにもコンピューターが活用されてきました。
2015年にOECD(経済協力開発機構)が発表したデータによると、学校には子ども1人あたり1台のコンピューターがあり、加盟国平均(5人に1台)を大きく上回っています。ちなみに現在日本の国公立小中学校のパソコン普及率は、5.4人に1台です。
「パソコンは自分で用意して」
オーストラリアの学校でコンピューターが行きわたった背景には、「ブリング・ユア・オウン・ディバイス」という方針があります。これは、「(各家庭が)各自でパソコンを用意して」というもの。日本の家庭が子どものためにリコーダーや体操着を購入して用意するのと同様に、ノートパソコンやタブレット型端末を用意するように求めたのです。
もちろん中には、経済的な事情で用意できない家庭もあります。そうした子どものために、学校は予算を組んでパソコンを用意し、貸し出せるようにしています。こうして「1人1台のパソコンが使える」という状態を作っています。
ただこの貸し出し用パソコン(多くの場合タブレット型端末)を、「自宅に持ち帰り可」とするか「校内でのみ使用可」とするかは、学校の裁量に任されています。コロナによる休校中も、学校によって貸し出し可であったり、貸し出さなかったりと、対応はばらばらでした。
対応が割れたオンライン授業の導入
休校中の学習についても、課題を与えて提出させた学校、何もしなかった学校など、ばらつきが出ていました。中には、「さすがはIT教育先進国の学校!」と評価できるような、ネットで双方向の授業を行った学校もあったようですが、「1日5分で終わるような課題が送られてきただけ」という学校もありました。特に公立の学校では、オンライン授業はそれほど一般的ではなかったようです。国や州の政府が一律の方針を決めたり仕組みを整えたりしたわけでなく、対応は個々の学校にゆだねられたためです。迅速な行動制限が功を奏し、比較的早い段階から登校再開が見えていたことも、理由の一つでしょう。
クイーンズランド州の休校措置は2カ月弱にわたり、5月11日には、小学校1年生と、大学受験を控えた11~12年生(高校2~3年生にあたる)の登校が始まり、25日には全ての子どもが通学を再開しました。
将来またやってくるかもしれない感染拡大のためにも、オンライン授業の準備は進めておくべきだと思われますが、残念なことに、そうした議論は今のところそれほど盛り上がっていません。おそらく、ようやく学校や仕事が再開され、大人も子どももやることがいっぱいで、「それどころではない」といったところなのでしょう。一段落したときに議論が始まることを期待していますが、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」となる可能性はありそうです。
災害時や不登校の子どもへの選択肢にも
海外先進国はどこもオンライン授業が進んでおり、日本だけが出遅れたといった報道もありましたが、IT先進国と言われるオーストラリアの現実を見る限り、実際は日本とそこまでの差があるわけではないと思います。だからこそ、今からでも、「転んでもただでは起きない」という精神で、日本でぜひIT教育や遠距離教育をきっちり進めてほしいと思います。
これから先、新型コロナウイルスの2波、3波の可能性もありますし、また同じような感染症が蔓延しないとも限りません。また、地震や水害などの災害時にも、ITを利用した遠距離教育は活用できます。病気で長期入院中の子ども、集団生活になじめない子どもや不登校の子どもなどへの、学びの選択肢にもなります。「コロナのときは大変だったね」で終わらせるだけではもったいない。これを機に、社会をどう変えていくかがどこの国でも問われています。