ロックダウンで人影が消えた首都ワシントンD.C.
東海岸にある首都ワシントンD.C.エリアで、最初の新型コロナウイルスの感染者が確認されたのは3月5日です。その後急速に感染者数が増え、30日には外出禁止令が発令されて4月1日からロックダウン(都市封鎖)が始まりました。外出禁止令は、ようやく5月29日に解除されましたが、3段階の第一段階にすぎず、レストランは屋外のみ、美容院も入店者の人数制限があるなど、今も多くの制限が課されています。
ワシントンD.C.は桜で有名ですが、今年は花見も禁止されました。地下鉄の駅は4分の1が閉鎖されて電車の本数も減少。スーパーは営業時間を短縮して入場制限を行い、店の前には入場を待つ人たちの行列ができました。その行列も、前の人との間隔は6フィート(約1.8メートル)を保っています。そして、企業や官公庁が一気にテレワークに移行したことで、地下鉄車内やオフィス街から人の姿が消えました。
連邦政府は日ごろからテレワークを実施
アメリカは日本に比べてテレワークの導入が進んでいますが、首都ワシントンD.C.も例外ではありません。日本の場合、テレワークは民間(特に大企業)が推進し始めている一方で、官公庁の取り組みはなかなか進んでいない印象ですが、ワシントンD.C.の場合は連邦政府がテレワーク導入をけん引しています。
ワシントンD.C.には連邦政府機関が集中しており、約42万人の職員が住んでいます。その多くは、日ごろからテレワークで仕事をしています。私の子どもが通う学校にも、連邦政府職員のお子さんがたくさんいますが、学校行事では「テレワークで時間を調整してきた」というお父さんやお母さんが当たり前にいます。
災害対策と環境対策で導入が進んだ西海岸
アメリカでテレワークが始まったのは、50年近くも前の1970年代です。西海岸カリフォルニア州で当時NASA(アメリカ航空宇宙局)のプロジェクトを担当していたジャック・ナイル氏が「テクノロジーのお陰で、仕事は自宅でできるようになった。それなのに、どうして職場に行かなければならないのか」「通勤の代わりに通信技術を使えないか」と考えたのが始まりだと言われています。
当時は「テレコミューティング」と呼ばれ、ナイル氏が民間企業や連邦政府に提案したときには、ほとんど理解が得られませんでした。しかし1980年代に入って、カリフォルニア州政府が仕事の効率化などの効果をようやく認識して導入を開始。1989年のサンフランシスコ地震では、州政府の建物も被害を受けましたが、テレワークの職員が業務を継続することができたことから、州政府が本格的に制度として取り入れることになりました。
その後、環境意識の高い西海岸では、交通渋滞や大気汚染、原油の高騰などの問題を解決する手段の一つとしても注目され、通勤時間の節約だけでなく省エネルギー効果もあるテレワークが、IT技術の進歩とともに広がりました。
危機管理を目的に本格導入した連邦政府
一方東海岸では、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件をきっかけに関心が高まりました。オフィスや街全体が、テロや災害などで使用不能になった場合であっても、テレワークが可能であれば業務を継続することができます。連邦政府の管理職の間で、「危機管理としてのテレワーク」という認識が広がったことが、大きな後押しになりました。
2000年代初めに、各省庁に対してテレワークの制度導入を義務付ける法律が生まれ、何度かの改正を経て、オバマ大統領が2009年の就任直後に法案に署名した「テレワーク強化法」が2010年に施行されました。
「テレワーク強化法」は、連邦政府の職員にテレワークを推進するための法律で、全職員を対象に、テレワークを推進するためのさまざまな義務を定めています。例えば、各省庁はテレワークに関する方針を策定し、テレワーク推進の現場責任者となる「テレワーク・マネージャー」の任命を求められています。
テレワーク・マネージャーは、テレワークが可能な部署や職員を洗い出します。テレワークが可能とされる職員にはまず、研修を受けさせます。具体的な研修内容は省庁によって違いますが、テレワーカーにはどんな責任があるか、職場とどうコミュニケーションを取るべきか、などを学びます。また、テレワーカーを管理する上司には、テレワークをしている部下の仕事の管理の仕方、テレワークの計画をどのように設定するかなどを学習させ、テストを行ったりします。
さらに、週に何日テレワークをするのか、緊急の時だけなのか、などの条件を話し合って書面化し、双方が合意文書に署名してようやくテレワーク開始となります。人事院は毎年、どれくらいの人がテレワークをできたか報告書にまとめ、議会に提出しなければなりません。
セキュリティーの管理は厳しく、自宅ではプリントアウトが禁止されていたり、職場で支給されたパソコンを使うことなどの規定もあります。小さな子どもが家にいる場合は、ベビーシッターを雇い、仕事に支障がないようにすることも守るべき事項の一つとされています。コロナ禍の非常事態の現在は特別措置として、ベビーシッターを雇わなくてもテレワークが可能になっていますが、人事院から出されているガイダンスには、子供の世話をしている時間は休みの時間として扱い、仕事時間とは分ける事が必要だと書かれています。
連邦政府の取り組みが波及
連邦政府が中心となって推進してきたテレワークですが、ワシントンD.C.ではこの動きが民間企業にも波及しています。もともとアメリカではテレワークを導入している企業が多いですが、ワシントンD.C.には政府機関を顧客とする民間企業も多いため、連邦政府の取り組みが及ぼす影響力は大きいのです。
例えば大雪の日は、人事院のウェブサイトに「本日、ワシントンD.C.にある連邦政府の各機関は閉鎖です。テレワークができる連邦政府職員は在宅勤務をしてください」などの情報が掲載されます。このエリアの民間企業も、こうした連邦政府の判断を参考にしてオフィスの閉鎖やテレワーク移行を決めたりしています。酷暑に見舞われた夏は、暑さのためにテレワークが勧められた日もありました。
「テレワーク嫌い」だったトランプ大統領も一転
一方、ホワイトハウスの動きは少し異なります。トランプ大統領は、大統領就任以前からテレワークには否定的でした。部下に直接指示を下し、仕事ぶりを自分の目で判断したいためだと言われています。このため、トランプ政権になってからは、省庁によってはテレワークの利用を制限する動きもありました。
しかし、新型コロナウイルスの感染拡大によってそれが一転。連邦政府を挙げて、可能な限りテレワークを行うことになりました。
突然テレワークを組織全体で実施するのは、簡単なことではありません。しかしこれからも、またそれが求められることになるかもしれません。新型コロナウイルスは、一時的に収束したとしても、ワクチンや特効薬が開発されない限り、また第2波、第3波と続く可能性があるからです。
連邦政府が今回、スムーズにテレワークに移行できたのは、2010年の「テレワーク強化法」から10年にわたって推進してきたためです。日本の企業や政府機関もこれを機に、本格的にテレワークを推進すべきでしょう。