アメリカ西海岸の北部にあるワシントン州は、全米でもいち早くテレワークを推進してきた先進地だ。全米で最初に新型コロナウイルス感染による死者が報告されたが、ソーシャルディスタンシング(社会距離拡大戦略)に成功して医療崩壊を食い止め、3月末に感染者増加がピークアウトしたと言われている。15年前から州最大の都市シアトルに住む、ライターのハントシンガー典子さんがリポートする。
夕暮れ時のシアトルの街並み
※写真はイメージです(写真=iStock.com/bluejayphoto)

すでに感染拡大のピークを越えた

ワシントン州では、1月19日にアメリカ初の新型コロナウイルス感染者が、2月28日にはアメリカ初の死者が報告された。私が住むシアトルでは、ニューヨークほど外出の取り締まりが厳しくなく、殺伐とした雰囲気はないが、誰もが医療従事者など生活の基盤を支える人たちを気遣い、家にこもる暮らしを1カ月以上続けている。

私たち夫婦も自宅でテレワーク中だ。夕方には休校中の小学生の息子とともに散歩をすることを日課にしているが、道すがら同じような家族連れとすれ違うことも多い。笑顔であいさつし、顔見知りであれば世間話もするが、お互いに2メートル以上の距離を取ることは忘れない。学校は9月初めの新学期開始まで休校することが決まっており、まだしばらくはソーシャルディスタンシング(社会距離拡大戦略)が続きそうだ。

とはいえ、ワシントン州のコロナ感染者拡大はアメリカでもいち早く既にピークを過ぎたという分析もある。今も予断を許さない状況ではあるものの、自宅待機命令は5月5日から一部緩和され、釣りやゴルフ、日帰りハイキングなどは、同伴者が同居者に限られるが可能になる。

マイクロソフト、アマゾンなどが率先して出社を止めた

ワシントン州が比較的早く感染のピークを超えられた理由の一つとして、感染拡大の初期にテレワークが一気に浸透したことが挙げられるだろう。

ワシントン州内で多くの大手IT企業の拠点を抱えるキング郡が、外出自粛やテレワーク推進などを呼びかけ始めたのは、初の死者が出てから5日後の3月4日。この時点ではまだ、学校も休校になっていなかったが、IT企業各社の動きは速かった。

州内に5万人以上の社員を抱えるマイクロソフトは、この日のうちにキング郡内の全社員にテレワークへの移行を指示。シアトルで4万5000人が働くアマゾン、シアトル周辺で5000人が働くフェイスブックのほか、グーグルや任天堂アメリカなどでも、ほとんどの社員がテレワークに移行した。

特にシアトルの周辺には、IT企業が集まっている。シアトルに本社を置くアマゾン、郊外のレドモンドに広大な本社を持つマイクロソフトのほかにも、ハイテク企業は多い。こうした土地柄もあり、もともとシアトルでは勤務時間の5割以上を在宅勤務するテレワーカーが7.6%を占めていた。ワシントン州全体で見ると、全米平均の約2倍の5.9%がテレワーカーというデータもある。

正社員か、派遣社員やアルバイトかにかかわらず、スタッフにオフィスワークとテレワークのマルチ環境を与えているIT企業では、普段は普通に出社している人でも、雪が降って道路の状態がひどかったり、子どもの学校が休みだったりすると、それを理由に「今日は家で仕事します」と気軽に言える。だからこそ、コロナの感染が拡大し始めた時、多くがスムーズにテレワークに移行できたのだろう。

シアトルの主要産業と言えるIT企業の多くが、早い段階でテレワークに踏み切ったことで人の移動が一気に減り、街から人が消えた結果、「ソーシャルディスタンシングが当たり前」という空気をもたらした。

在宅体制が遅れている企業はどう対応したのか

そんなシアトルでも、コロナ以前のテレワークの浸透具合は業界や職種によって濃淡がある。例えば、年配の管理職が多く、個人情報や機密情報を扱うこともある州庁のオフィスでは、対応が遅れている部署もあった。

しかし、3月11日に公立の学校が休校になり、15日には飲食店の営業縮小やイベントの延期・中止が要請された。ワシントン州内で2200人以上の感染者、110人以上の死者が出た3月23日には州知事による自宅待機命令が発出され、翌日からは生活の基盤を支える職業に就く人以外は、仕事を休むかテレワークで働くかしかなくなった。

そこで、テレワークの導入が遅れている企業や官公庁などでは、自宅待機命令までに出社できた人は、普段オフィスで使用しているセキュリティー対策が施されたパソコン一式を各自で家に持ち帰ってテレワークに切り替えた。出社が間に合わなかった人には宅配便でパソコンを配達して対応したという。また、自宅にパソコンがある職員には、IT管理部門の担当者が遠隔からセキュリティー対策を行い、スマートフォンを使ってID認証してオフィスのネットワークにアクセスできるようにした。やはりニューヨークなどのアメリカの他の都市に比べても、対応は素早かったといえるだろう。

「環境」が後押しし、先進地に

ただし、ワシントン州でテレワークの浸透が早かったのは、単に大手IT企業が多かったからというだけではない。

シアトルは昔からリベラルな土地柄で、全米一の高学歴都市としても知られている。大企業であれ中小企業であれ、スーパーフレックス制と言っていいほど職場の自由度が高い。アメリカでは親が子どもの幼稚園や学校、習い事に送迎するのが一般的だが、共働きであってもこうした送迎は夫婦で分担し、どちらかが早番、どちらかが遅番と勤務時間を分けたり、一部をテレワークにしたりして対応できる。

さらに「環境問題」に対する意識の高さもテレワークを後押しした。

緑と湖に囲まれたシアトルは「エメラルド・シティー」と呼ばれ、アウトドアも盛んで、REI(アールイーアイ)などの世界的アウトドアブランドが多数生まれているだけあって、もともと自然保護への意識が非常に高い。

アメリカの大多数の都市と同じく、シアトルも車社会だが、オフィスへの車通勤を減らせば交通渋滞が緩和し、二酸化炭素の排出が削減できるうえ、長く問題となっていた都心の駐車場不足も解消できる。このため政府も企業に対し、税制優遇などのさまざまなテレワーク推進施策を行ってきた。

また、アメリカでは2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降、テロや災害などでオフィスの機能が停止した場合でも業務が継続できるよう、機能分散やリスクマネジメントを目的としたテレワークが推進されたという背景もある。この流れの中で、企業だけでなく政府職員のテレワークも進められた。テレワークが、育児や介護を担う社員のための一種の“福利厚生”として位置付けられてきた日本とは、推進の背景が異なっているのだ。

徒歩移動が半減したシアトル

アップルが公表した、自社の地図アプリのデータから解析した住民の移動状況を見ると、4月18日時点で東京では1月13日に比べて車の移動が24%減、徒歩が23%減、公共交通機関が43%減だった。一方、同じ日のシアトルは、車の移動が37%減、徒歩が51%減、公共交通機関が83%減と、いずれも減少幅が東京よりも大きく、特に徒歩では2倍以上の差がついている。

普段、まったくテレワークをしていない企業が、突然移行するのは簡単なことではない。ワシントン州では、多くの企業が平時から在宅勤務の対応を進めていたことで、ソーシャルディスタンシングが可能になった。同じことは日本の企業にも言えるはずだ。今を乗り切るためだけでなく、今後のためにも、これを機に柔軟な働き方を推進すべきだろう。