リスクヘッジのためにレビューや口コミを確認することは、誰もが一度は経験しているのではないでしょうか。「結局誰の何を信じたら良いのかがわからない」――。こんな想いを解消するために、インフルエンサーとして何百万PVを記録してきたムーギー・キムさんが、確かな情報を得るためのインテリジェンス戦略を教えてくれます。

※本稿はムーギー・キム『世界トップエリートのコミュ力の基本』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

事実と偽の混乱
※写真はイメージです(写真=iStock.com/Kenishirotie)

“つくられたレビュー”もあることを知っておこう

情報収集において警戒すべきことの1つが、ネットのレビューである。

というのも、メディアやCMが信頼できないからと、レビューやネットでの評価を過信して、やはり失敗することも多いからだ。

第1に気をつけたいのが、レビューが大いに歪められている実態だ。

たとえば熱烈なファンや仕事での関係者が多い人の本に関しては、その支援者が書籍発売当日に大量のアマゾンレビューを投稿するのは、新著発売時の風物詩である。

悪質なケースでは、飲食店の某有名口コミサイトが、掲載飲食店のレビューの点数を上げるために飲食店に金銭を要求したり、アマゾンにレビューを書くために雇われる人々がいたりもする。

実際に私がひいきにしている寿司屋さんは、その素晴らしいクオリティにもかかわらず口コミ運営サイトに協力していないからか、極めて低いレビューに甘んじている。覚えておきたいのは、「レビューが実態を反映していないことも多い」という事実なのだ。

ネガティブレビュアーはどんな人か

第2に気をつけたいのが、レビューの評価基準が、自分の評価基準と違うことも多いということだ。レビュースコアは商品やサービスの良し悪しより、個人の好みとのフィットの問題であることが大半である。

たとえば私の書籍は常に、アマゾンレビューで1と5、つまり最低と最高が多い。私は興味がわいて、購入履歴がないのに私の本を酷評している人々が、他にどのようなものを勧めているか見てみた。すると案の定、某人気作家による「ウィキペディアコピペ本」などを熱心に信奉されているではないか。

特にネガティブレビューに関しては、中には納得できるものもあるが、購入履歴もない人が本の内容にまったく関係ないことを書いて批判していることも多い。単にその人の評価基準が「自分の思想信条に合うかどうか」になってしまっているのだ。

他にもよく疑問に感じるのが、大学ランキングだ。私の元にも毎年のようにさまざまな媒体からMBAランキングの投票などの依頼が寄せられるが、その評価指標が必ずしも学生の目的や目指すリターンとかみ合っていないことも多い。

同じ問題は、よくある「働きやすい会社ランキング」などにも散見される。しかしいくら他の大勢が高く評価、ないし低く評価していても、それらの評価がどのような基準と意図で書かれているのかを、読み解くことが重要なのである。

いつの時代も“批判”は目立つもの

第3に覚えておきたいのが、少数の怒れる批判のほうが目立つが、静かな支持者のほうが圧倒的に多いことも大いにあるということだ。

私のコラムはおかげさまで、よく何百万PVを記録し、コメントも何千と集まっていたのだが、そこで発見したのが「30対1の法則」である。

ひときわ目立つネガティブなレビューに惑わされない方法

たとえば、コラムを楽しんで肯定的に見てくれた人は、「いいね!」を押してくれるのだが、仮にそれで「3000いいね!」を集めたとしよう。

ムーギー・キム『世界トップエリートのコミュ力の基本』(PHP研究所)
ムーギー・キム『世界トップエリートのコミュ力の基本』(PHP研究所)

すると、だいたいその30分の1の量のコメントがあるのだが、そのコメントはほぼすべて、酷い罵詈雑言と憎悪に満ちあふれているのだ。

これが意味するのは、肯定的な評価をする人のエネルギーは「いいね!」をポチッとひと押しする程度なのだが、怒っている人でしかも暇な人は、ネガティブな書き込みに全精力を費やすということである。

この30対1という比率は時とコラムによってもちろん変わるので、一般化するわけではない。しかしながら、ネガティブなコメントを見て「世間は皆、怒っている」などと過度に心配するのは、大いに間違っているということである。

特に私たちの社会のメディアは、怒っている人からの投書や電話(いわゆる電凸)に弱い。しかし実はその30倍、いやもっと多くの、サイレントサポーター(静かな支持者)がいるかもしれないことを忘れず、批判に対して、過度に萎縮しないでほしい。

炎上や批判に過度に委縮しないようにしよう

私自身、「炎上してもまったく気にしないね、あなた」と感心されるのだが、それはあまりにも酷い罵詈雑言を長らく浴びてきたので、完全に神経がマヒして、何を書かれても「こんにちは」「ごきげんよう」くらいにしか感じないからだ。

しかしここで私たちが覚えておきたいのは、このような「炎上に世論が引っ張られる」という事態を避けるためにも、つまらない炎上に対しては萎縮ではなく、笑い飛ばすくらいの強さが必要だということだ。

批判や罵詈雑言をたくさん受けたからと言って、それが決して世論全体を反映しているわけではないと心を強く持とう。

実情を知らない他人からのいい加減な評価より、すべてを知っている自分からのレビューを信じて、あまり人からの評価に一喜一憂しないようにしたい。