札幌市に200件以上の抗議
11月、東京五輪のマラソン・競歩の開催地が札幌に変更されることが正式に決まりました。
9月にドーハで行われた女子マラソンは暑さを避けて真夜中にスタート時間を設定したものの、高い気温と湿度で参加者の40%が途中リタイヤと、異常事態が発生。それが影響したのか、突然の開催地変更が翌10月に公表されます。
IOCによる急な決定は開催地の都知事ですらかやの外。そして札幌市長がマラソン・競歩開催に関し「光栄です」と発言したことで一部の都民から反感を買い、札幌市にはのべ200件を超える抗議が殺到したと伝えられています。
各局MCが札幌のコースを批判
この問題はさらなる広がりを見せます。
札幌開催が決まった当日、各ワイド番組では札幌のマラソンコースが五輪にふさわしいかどうか議論していました。
あるワイド番組の中では、ルート候補地である新川通りの映像を流し「こっちの方がドーハに近い」「景色に何もないから走るのがしんどい」といった意見が飛び交い、最後にMCが「ずばり東京か札幌か?」と解説者に問うていました。意見を聞いているものの、一方的な内容という印象がぬぐえませんでした。
他の番組でも現地にレポーターを派遣し「東京には名所がたくさんあるけれど、これだけ景色に何もないのは実況泣かせ」「沿道に応援も少ないだろう」と批判が繰り返されました。
これらの放送を観た札幌の視聴者からは「そもそも札幌が誘致したわけではないのに、こんなに批判されるなんて心外」といった声があがり、Twitterでは「#札幌dis」というハッシュタグがトレンド入りするまでに。自分の住む街が、何も悪いことをしていないのに批判されて気持ちの良い人はいないでしょうから、反応は当然のものといえます。
視聴者の気持ちを考えず一方的な番組の構成をするのは同業者としては疑問に思いましたし、番組内容は公平であるべきと掲げる放送倫理の観点からも逸れている印象を抱きました。
なぜ、こんなことになってしまったのか
五輪の開催をめぐり、なぜ多くの人の心を消耗させ対立を生む事態になってしまったのでしょうか? それはIOC、東京都、そしてマスコミとすべての立場にある人たちが問題を直視せず、場当たり的に対応してきたことが大きいと言えます。
急な開催地変更をしたIOC、効果に疑問のある暑さ対策に多額の税金を費やした東京都、それらの十分なチェックを行うよりも札幌批判に終始してしまったワイド番組と、結局、それぞれの立場の人たちが責任を果たさず一番弱い立場の人たちにしわよせが行く形になりました。
そしてこれと似たことは、私たちの周囲でもたびたび起きています。
怒りの矛先の向け方を間違わないように
たとえば、会社員ならば育児休業ひとつを取っても、男性にしろ女性にしろ、本来は休みを取るのは社員の当然の権利であるはずなのに、なぜか当事者たちが非難され罪悪感を背負わされることや、独身の社員など代わりの人たちに負担が集中し、社員同士で対立する構図が生まれることが多々あります。
根本的な原因は、適正な人員配置や日頃の業務効率の見直しが甘いことによるしわ寄せにあり、その課題を現場と経営が一緒になって改善していく必要があるはずなのに、現場同士でいがみあうという不毛な事態に陥ってしまうのです。
職場のセクシャルハラスメントやパワーハラスメントも、本来責任を追及されるべきは不始末をはたらいた側であり、ひいては適正な処分をくだすのは経営側の責任であるはずなのに、なぜか被害者側に問題があるかのように批判される事もめずらしくありません。
私自身が見聞きした事例の中にも、男性上司から目に余るセクハラを受けたため別の上司に報告したところ「彼に代わってその座に就こうという算段だと誤解されるぞ」と注意され、らちが空かないためさらに他の上司に相談しても「君が今のポジションから外れるべきだ」とたらい回しにされ、対処してもらえないどころか余計に傷ついたというケースがありました。
今回、五輪のマラソン・競歩の開催地移転問題については、ひとつの街がしわ寄せの対象となりましたが、このような事態はさまざまな場面で見られ、そして残念ながらこれからも同様の問題は起こりうるでしょう。そんな時のために、当事者でなくとも理不尽な環境に置かれている人の気持ちに寄り添える感覚や、不毛な争いをする事態にNOと言える感覚は身に着けていたいものです。
忘れてはいけないのは、事の本質、本来の責任はどこにあるのかを見誤らないことではないでしょうか。