優しく厳しい父の教育方針
太陽光発電がなくても、夏は涼しく冬は暖かい、家族を守る「巣」のような家――それがWELLNEST HOMEの家づくりであり、「お母さん社長」を自称する社長の芝山さゆりさんの暖かさの表れでもある。
芝山さんは、父は職人、母は専業主婦の家庭で育った。比較的裕福であったため、絵に描いたような「お嬢さん育ち」。小学4年生の時に、音楽教師に「絶対音感があるからピアノが向いている」と言われ、父にピアノをねだると、80万円もする臙脂色のアップライトピアノを即決で買ってくれたほどだ。
ただ、ピアノを買う前に、父からは“コミット”を求められた。
「お父さんはさゆりにピアノを買ってあげられる。そのかわり、ピアノを使った資格を取れると約束しますか?」
芝山さんの父は、ピアノの件に限らず、行動への責任を子どもにもきちんと考えさせる人だった。そのため“物事は責任を持ってやりとげる”という行動規範が染みついていった。
人生をなめていた10代
両親の財力もあり、優秀なピアノの指導者をつけてもらい、人並み以上の成果を出していた彼女は、中学卒業後の進路を決めるときには音楽の道しか考えていなかった。芝山さんが海外留学をしたいと話すと、父はなんとアタッシュケースに札束を入れて持ってきた。そして、こう言った。
「医大、芸大、美大、音大に行くにはこれだけのお金がかかる。医大ならこのお金を返せるかもしれないけれど、他の分野で返せる人はほぼいない。それでもさゆりの夢がそれなら、お父さんは投資してあげよう」
そこまでの覚悟はない――、そう思った芝山さんはこれにコミットすることはできず、結局留学はあきらめ、地元の高校に進んだ。しかし、ピアニストになることしか考えていなかったため、とりあえず音楽の先生になるための短大に進学する。
「やりたいこともないけれど、勉強はできるし、生活に困ったこともない。なんとなくやっていればそこそこ上手く行くので、この頃は人生を舐めていました」(芝山さん)。
お嬢様が目を覚ましたリンゴ事件
ところが、その短大で教育実習に行った幼稚園で叩きのめされる。
実習初日、遅刻しそうだった芝山さんは、実習先の幼稚園まで母親に車で送ってもらった。しかし、それを見ていた園長が激怒。
「一番後に来ておいて、送り付きとは何事か」と朝から40分も説教された。そのうえ、実習ではリンゴの皮一つ剥けない芝山さんを「あんたみたいな人間、使いものにならない」と切り捨てた。
今まで他人からそんな扱いを受けたことがなかった芝山さんは、あまりの悔しさに、その日の夜にリンゴを大量に買ってきて、皮むきを練習し続けた。
翌日には皮むきができるようになっていた芝山さんに、園長は「根性があるな」と認めてくれた。
後で知ったことだが、園長もまた、過去にお嬢様育ちをしてきた女性だった。世間知らずで苦労し、女手一つで4人の子を育て、夫がつくった多額の借金を負って生きてきた。そうした経緯から、自分と似たタイプだった芝山さんに、喝を入れてくれたというわけだ。
人は信じれば変わり、成長する――それを実感した芝山さんは、その日から園長を信奉。仕事の仕方から社会との向き合い方まで、小学校の音楽専科教師として就職してからも、公私ともにメンターとして学んだ。それは、「お嬢様」からの脱皮でもあった。
専業主婦から経営者への道を突っ走る
そんな芝山さんだったが、24歳で結婚し、幼児教育の世界からは離れ、専業主婦として子育てに専念することになった。夫は車のエンジニアだったが、子どもの教育にお金をかけたいと考えた芝山さんは、当時始まっていた携帯キャリアのキャンペーン「0円携帯」を配ることにした。
携帯電話を知り合いに無料で配って回線契約をしてもらうだけでインセンティブが15000円入るというものなのだが、幼稚園時代の知人に配りまくった結果、主婦の副業レベルではなくなり起業することに。最高で月150万円を稼ぐほどになったことで、その業界で一躍有名人になった。
「高い粗大ごみを建てたね」
ある日、そうした功績からおよそ1500人の前で話すセミナーに登壇することになった。そこで出会ったのが、のちにWELLNEST HOME創業者となる早田宏徳さんだった。
芝山さんは1億円かけて建てた自宅に住んでいたが、月8万円の光熱費を支払っていた。しかし、当時から低燃費で良質な家のつくり方を提唱していた早田さんは、その1億円の家の話を聞くと、「高い粗大ごみを建てたね」と言った。早田さんのつくる家は、たった1台のエアコンで家じゅうが涼しくなるような工法で、光熱費も抑えられるというのだ。
芝山さんは、自分が建てた家が質の悪いものだったというショック以上に、その工務店を他人に薦めたことで、被害者を増やしてしまったことを激しく後悔した。
「いいと思ったものしか人に伝えてはいけない」と思い悩んだ芝山さんは、早田さんからのスカウトを受け、2年後には住宅の世界に足を踏み入れることになる。
“試住”という前代未聞のアイデア
芝山さんは、早田さんの経営していたドイツで学んだ省エネ建築を広げるコンサルティング企業の専務に就任。だが、順調に見えたのもつかの間、東日本大震災が起きたことで売り上げは半減。あと数カ月で資金がショートするという中、泣く泣く若い社員を他社に預かってもらうことになった。たった数カ月のことだったが、「里子」状態のつらい体験が、のちに芝山さんが「お母さん社長」と呼ばれるようになったきっかけでもある
会社を立て直すにあたり、今度はコンサルティングだけでなく、実際に家を売る住宅会社として再起することになった。低燃費住宅の創業である。
そこで行ったことが「試住」体験だ。
「食べ物を買うなら試食をするし、服を買うなら試着する。家はこんなに高い買い物なのに、モデルハウスしかないのはおかしい」と考えた芝山さんは、モデルハウスに実際に住んでもらう体験ができるようにした。
また職人向けに、建設途中の現場に入れる見学会も実施。工期が長く敬遠される工法だったため、なぜ真夏でも涼しい家が建てられるのかをすべて見てもらい、理解してくれる職人を味方につける必要があったのだ。
こうして少しずつ事業を拡大していく中、芝山さんが社長になるきっかけとなったある事件が起きる。
社名と路線の変更を決断
「100坪の家を建てたい」という医師の契約が取れそうだったのだが、そこで言われたのが「この工法の家を建てたいが、家の売りは『低燃費』。せっかくいい家を買うのだから、『低』をうたうのをやめてくれないか」
当時は「低燃費」を武器に営業しており、社名も低燃費住宅。しかし客のニーズとしては「低燃費だから建てたい」というだけではなくなってきていたとハッとした。
早田さんも大きな家を同じ工法で建てるのは大変だとあきらめていたこともあった。
「改革しよう」と芝山さんは立ち上がった。お母さんが巣作りをし、子どもが巣立っていく家をイメージして、社名を「WELLNEST HOME」に変更した。
低燃費路線から、WELLNESTの特色であるアレルギーやアトピーになりにくいといったソフト面を伝えるアプローチへと変更した。2017年には、早田から社長交代の打診を受け、それを受けることになる。「いずれはこの躯体で幼稚園をやりたいんです」と芝山さんは微笑む。
現在、WELLNESTグループには女性向けの研修など教育事業も含まれており、2021に年にはグループ全体で100億円の売上高を目指していく。
それでも本当は夫を支える生活がしたかった、と漏らす彼女は、専業主婦だった母親の姿を、自身に重ねていたのかもしれない。それを全うしながらも、日本中の女性や母親を応援したいという気持ちが勝ってその後の活動に繋がっている。
二人の子どもを立派に育て、社長業をもやり抜く彼女は、今日も次世代の女性が夢をかなえるために、「お母さん社長」として発信を続けている。
WELLNEST HOME 社長
教師、専業主婦を経て2001年、携帯電話の代理店事業で起業。2008年、WELLNEST(旧IMPACT)を起業し、独自の教育論で人財育成や女性の起業支援を手がける。累計セミナー受講者数は7350人を超える。2017年、WELLNEST HOMEの社長に就任。