カネカ問題とJPモルガン問題
日米両国で5月下旬から、男性の育休に関するニュースが相次いでいる。私が暮らす米国では、金融大手のJPモルガン・チェースが、「育児休暇」の取得を拒絶された男性社員らが起こした訴訟に絡み、補償金500万ドル(約5億4000万円)を支払うことで合意。他方、日本では「育児休業」から復帰した化学メーカー・カネカの元男性社員が不利益な取り扱いを受け、退社を余儀なくさせられた事実が明るみになった。男性の育休「義務化」を企業側に促す自民党の議員連盟が設立されたとの報道もあり、男性のキャリア形成を多様化させる可能性を秘める育休をめぐる動きがにわかに活発化している。
短縮すれば、いずれも育休となる「育児休業」と「育児休暇」。あえて分けて記したのには理由がある。前者は育児・介護休業法に基づき、給付金が保障された日本のようなケースで、後者は法律に規定されたものではない。そして、米国は先進国の中で唯一、有給の育休制度が国の制度として導入されていないのだ。女性向けの有給産休制度も同様。妻の転勤に伴い、会社の「配偶者海外転勤同行休職制度」を用いて、2017年12月に渡米した私にとって、これは衝撃だった。家族や夫婦、働き方などに関し、あらゆる価値観が世界に先駆けて現れ、新たなライフスタイルが確立していく米国の最先端事例を学ぼうと思っていたが、いきなり出鼻をくじかれたのを思い出す。
米国は州や企業単位で育休の制度がある
ただ、国の制度がない一方、給与を支給する州や企業の制度は一部で創設されている。連邦制を敷く米国は、各州に与えられている権限が極めて大きい。男女問わず、家族を理由にした有給休暇制度が採り入れられているのは、私が住むニュージャージーやニューヨーク、カリフォルニアなどで、母親だけでなく父親も実質的に育休を取ることができる。
企業では、西海岸のIT関連を中心として、有給の育休・産休制度を立ち上げている例が目立っている。マイクロソフトやヒューレットパッカード、ネットフリックスなどで、中でも、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)が長女、次女誕生の際、それぞれ育休を企業トップとして取得したのは、広く知られているケースだろう。
男性は「主な育児の担い手」ではないのか
5月31日付の米・ニューヨークタイムズ紙は、JPモルガンの補償金支払いをめぐる記事を、男性社員の写真入りで1ページの上半分を使って、大々的に取り上げた。同紙などによれば、JPモルガンの社内規定では、育休の対象を「主な育児の担い手(primary caregiver)」と定め、期間は最大16週間とし、給与は全額支給としていた。男性社員は、同期間の有給育休を申請したが、「主な育児の担い手」と判断されず、2週間の育休しか認められなかったため、性差別だと訴えた後、今回の和解に至った。
この問題を通じ、育休をめぐる米国の現状として、①主たる子育ては母親が担うとの考えがまだまだ根強い、➁男性が育休取得に踏み切るには、ハードルが高い、③制度の創設や充実は州や企業に任せられている――が主な論点として浮かび上がる。特に、①と➁は、男性の育休取得論議が盛んになっている日本にも相通じる話だ。
父親の育休で母親の健康が劇的の改善
同じくニューヨークタイムズ紙は今月初旬、米スタンフォード大の研究者が、育休先進国であるスウェーデンを引き合いに「出産直後の母親が健康を維持するには、母親の要求に応じながら、父親が数日間であっても柔軟に育休を取ることが効果的だ」とする分析結果を掲載した。母親が育休中であっても出産後1年間に限り、父親が必要に応じて30日を上限とした育休を取れるよう2012年に法改正したところ、母親の健康状態が劇的に改善したという。JPモルガンの問題と併せて、米国でも男性の育休取得が話題に上ることが今後は一段と増えるかもしれない。
米国に比べて、日本の育児休業制度は極めて充実しており、一歩も二歩も先を進んでいると言ってもいいだろう。ただ、制度こそ充実していても、実際に取得する男性が少ないままでは、絵に描いた餅に他ならない。厚生労働省が4日に発表した「18年度雇用均等基本調査」(速報版)では、男性の育休取得率は前年度から1.02ポイント上昇の6.16%。6年連続で上昇しているとはいえ、20年までに13%に引き上げる政府目標とは大きくかけ離れているのが実態だ。
男性の育休取得を阻む壁の正体
ツイッターで発覚した今回のカネカ騒動は、育休明け直後の男性社員に転勤を命じたものの、子どもの保育園事情などを理由に、転勤に応じることができず退職したというもの。育休取得を理由とした社員の不利益な取り扱いは、育児・介護休業法で禁じられており、育休後は原則、同じ仕事に復帰させるよう配慮することが定められている。ツイッター上では「見せしめではないか」「パタニティーハラスメント(嫌がらせ)だ」などと意見が交錯している。
先に触れたが、米国でも日本でも共通しているのは、男性の育休取得を阻む企業の壁の厚さだ。いずれも、主な育児の担い手は女性との社会観念が根強く残っており、男性=育休という構図が浸透していない現況が見て取れる。そこには、キャリア中断に対する不安のほか、復帰後の境遇、昇進への影響を懸念する男性の実像が見え隠れする。
復帰後の働き方にも壁がある
実を言えば、私は15年春から1年間、育児休業に踏み切った。取得にあたり、幸いにも嫌がらせや妨害を受けた記憶はなく、復帰後は何事もなかったかのように、元の職場にそのまま戻された。そして、以前と同レベルで働いているうちに、周囲は私が育休を取っていたことを忘れていった。一方で、育休で得られた経験を糧に、残業時間の短縮や早期帰宅の推奨などを組織に還元したとは言い難い。「一人で動いたところで何も変わらない」と思いつつ、むしろ復帰後の方が壁の厚さを痛感した。
自民党議連が目指すところは、男性社員の育休取得を企業に義務付けるための法制化だ。
現時点では、実現までの道のりは見通せないものの、典型的な男社会である永田町を取材していた身としては、こうした議論が出てきたこと自体に驚きを禁じ得ない。それだけ、男性のキャリア形成への関心が強まっている証しであり、育休促進はそのための手段となりうる。
日米ともに今後問われていくのは、男性個々人の考え方のパラダイム・チェンジである以上に、企業が男性社員の育休にどう向き合い、制度を充実化していくかという姿勢そのものである点は実に興味深い。
米国在住・駐夫 コロンビア大大学院客員研究員 共同通信社政治部記者
1972年生まれ。6歳の長女、4歳の長男の父。埼玉県出身。2017年12月、妻の転勤に伴い、家族全員で米国・ニュージャージー州に転居。96年慶應義塾大学商学部卒業後、共同通信社入社。3カ所の地方勤務を経て、05年より東京本社政治部記者。小泉純一郎元首相の番記者を皮切りに、首相官邸や自民党、外務省、国会などを担当。15年、米国政府が招聘する「インターナショナル・ビジター・リーダーシップ・プログラム」(IVLP)に参加。会社の「配偶者海外転勤同行休職制度」を男子として初めて活用し休職、現在主夫。米・コロンビア大学大学院東アジア研究所客員研究員。ブログでは、駐妻をもじって、駐夫(ちゅうおっと)と名乗る。