「長く働き続ける自信がない」と退職
サイボウズにおいて、一時28%にも達していた離職率が約4%にまで減少した。中根さんはその一助として人事担当者として社内の制度改革を続けたひとりだ。以来、その手腕に注目が集まり、最近では人事や働き方に関する講演に引っぱりだこ。社内でも、働きがいのある環境づくりや、出産・育児で離職したキャリア女性を支援する「キャリアママインターン」の展開に取り組んできたり、幅広く活躍を続けている。
といっても人事一筋に歩んできたわけではなく、もともとは法学部の出身。在学中に「法律家ではなく、ビジネスの中で法知識を生かせる人になりたい」と思うようになり、会社法を中心に学んだのち大阪ガスに就職した。その後約2年間、仕事への情熱にあふれた上司のもとで社会人としてのイロハを学ぶ。
「ここで教えてもらったことは今も大きな糧になっています。本当に一生懸命育ててくれて、感謝の思いでいっぱいですね。ただ、帰宅が遅くなることも多く、当時は遠距離恋愛をしていたこともあって、この働き方をずっと続けられるんだろうかと不安になってしまって……」
長くは続けられないかもと思った瞬間、こんな気持ちのまま働いていては熱心に育ててくれている先輩たちに失礼だという思いが湧き上がった。悩んだ揚げ句、遠距離恋愛をしていた彼と同じ東京で働こうと決断。複数の候補の中から「面接担当者の言葉に感動して」サイボウズを選んだ。
M&A法務を通して経営者たちの思いに感動
当時、サイボウズは社員50人ほどのベンチャー企業。中根さんは「ITベンチャー」に対してあまりいいイメージを持っていなかったそうだが、面接担当者と話すうち、その志や世の中を変えようとする情熱に心を動かされる。同社がたまたま著作権訴訟の最中だったことも、企業で法知識を生かしたいという思いとマッチした。
入社後は知財法務業務を任され、訴訟や契約にまつわる業務を担当。中には社内に経験者がいないような業務もあり、先輩から「私もわからないからあなたが決めて」と言われることもしばしば。丸投げが続くと不満がたまりそうなものだが、中根さんは逆に「すごくうれしかった」という。大好きで得意な仕事を、進め方も自分で決めていいなんて最高。そんな前向きな考え方が、自身の成長をさらに加速させた。
20代後半に入ると、サイボウズがM&Aによって事業規模を拡大しはじめる。中根さんはM&A法務専任となり、会社法の知識を最大限に生かせる舞台を得て大いに腕をふるうように。モチベーションも高く、それまでで最も充実した時期だった。
「会社を買うとは、経営者の思いや理想も一緒に買うということ。株式取得交渉では、経営者の皆さんから自社や社員への愛情あふれる話をたくさん聞き、本当に胸を打たれました。この経験は、いま私が担当している人事業務のベースにもなっています」
中根さんの考え方の中心にあるのはあくまでも「人間」だ。会社法を武器に交渉をまとめるとはいえ、そこには生身の人間同士の交流があり、対話すればそれぞれの思いやドラマも見えてくる。中根さんが最も心引かれるのは、そうした人間的な部分なのだという。
育休中、同僚からの退職メールが続々と
自分の仕事は楽しかったが、一方で社内の雰囲気は悪化していた。社長の交代劇があり、ハードな働き方が常態化していたこともあって離職率は28%にまで上昇。同じ頃、中根さんは第一子出産のため9カ月の産休・育休に入る。休暇中も、同僚から退職を知らせるメールが続々と届き、自分もこのまま復帰せずに転職しようかと悩んだ。
「転職を思いとどまったのは、青野(青野慶久社長)が『皆がワクワクできる会社へ変える』と強い決意を語ってくれたから。夫の『自分で選んだ会社なんだから変える方向へ頑張ってみたら』というアドバイスも背中を押してくれました。あの2人の言葉がなかったら復職していなかったと思います。加えて、社内で短時間勤務制度が始まっていたことも大きかったですね」
復帰後は青野社長の言葉通り改革も進み、第二子の出産後はもう悩むことはなかった。中根さん自身も会社を変えていこうと、法務部に所属しながら人事制度改革にも取り組む。やがて離職率は約4%にまで減少し、その成果から人事部長にと声がかかった。
仲間を頼らず、抱え込みすぎた自分を反省
このとき30代前半。ずっと歩んできた法務畑からの職種転換には戸惑いもあったが、「何となく丸め込まれて」引き受け、目の前の課題を懸命にこなすうちに「人事脳」になっていったそう。仕事もだんだんと楽しくなり、37歳のときには人事や経理財務、法務を統括する事業支援本部長へと昇格した。
「事業支援本部長を引き受けるのは、前任者の山田理(現・副社長)が偉大だったこともあってかなり悩みました。2人の子育てをしながらでは荷が重いなとも思いましたね。でも、同僚の女性が『あなたが本部長をやるなら一緒に頑張る』と言ってくれたので決断できました」
翌年には執行役員に就任。ここまでの道のりを、中根さんは「ヘコんでは立ち直るの繰り返し」と語る。例えば新人研修を任されたときは、仲間に頼らずすべての段取りを1人で担当。それだけでも手に余るのに、さらに他部署の研修内容まで徹底的に理解し説明しようとした。結果、人前でボロが出て恥ずかしい思いをすることに。中根さんは抱え込みすぎた自分を反省し、「役割分担したほうがクオリティーが上がる」と肝に銘じるようになった。
失敗からの立ち直り方法は「次の課題に取り組む」
また、管理職になってからは、育休が明けて復帰する部下に「あなたはどうしたい?」と聞いて失敗。サイボウズでは働き方を選択できるため、まずは本人の意向を知ろうと投げかけた質問だったが、返ってきたのは意外な反応だった。
その部下は「私は期待されていない」と感じたそうで、質問より先に、中根さんは、自分にどうしてほしいのかを聞きたかったのだという。感じ方は皆違うのだから、その人に合わせた声かけをするべきだったと反省した。
失敗すると大いに落ち込むが、立ち直りは早い。中根さんの立ち直り方法は、次の課題に取り組むこと。今も、役員会での提案が再提出になるのはよくある話だ。仕事は思い通りに運ばなくて当たり前、それでも次はきっと結果を出してみせる──。壁にぶつかっても常に先を見続ける強さが、中根さんの最大の武器なのかもしれない。
働きがいのある環境づくりへ向けて改革続行
「リーダーシップって何だろうと悩んだこともあります。特に事業支援本部長になったときは、前任者のように強力なリーダーシップで引っ張るタイプではない自分に、これでいいのかな? と悩むことがありました。でも、私は前任者と違って協調型。その違いに気づいたとき、私なりのリーダーシップとは皆の意見を良い方向にまとめて前進するサポートができることであり、皆を活かすこと。いわゆるサーバントリーダー型に近いかもしれません。もちろん、私自身が想いのある種をまいて一緒に育てたいと思ってくれる人を集めるということもありますが、社内のいい原動力を見つけて発展させる支援をすることなんだと思えるようになりました」
リーダーとして大きな理想や方向性を立てることはしても、実際の進め方は皆に任せ、自分はフォローやサポートに回る。最も重要な役割は、皆がワクワクしながら働ける環境をつくり上げること。自分らしいリーダー像をつかみ、会社の制度改革にもそれまで以上に力を入れるようになった。
「きれいな水辺でたくさんの蛍が輝けるように、澄んだ海で多様な生物が生き生きと泳げるように、私がその水辺や海をつくれたら」と語る中根さん。これまでも、五感を刺激し、コミュニケーションを誘発するオフィスづくり、副業や在宅勤務を含め多様な働き方が宣言できる「働き方宣言制度」など、新しい働き方を実現させてきた。誰もが輝ける環境づくりを目指して、中根さんの改革は続く。
役員の素顔に迫るQ&A
Q 好きな言葉
「道自開」
「東大寺長老を務められた清水公照さんが、父に贈ってくださった色紙。高校時代に見て心に響き、以来大好きな言葉」
Q 趣味
スポーツ全般、やることみること。
最近は、子供のスポーツ(サッカー、バスケ)を通じて、一緒にスポーツを科学したり、スポーツのチームワークについて考えたりすること。
Q 最近読んでいる本
『最強チームをつくる方法』ダニエル・コイル
『True North リーダーたちの羅針盤』ビル・ジョージ
Favorite Item
ボールペン、ノート、会社スマートフォン
「いつも持ち歩いているお気に入り。このボールペンは書き心地が好きで、いつも同じものを買っている。会社スマホがあれば何時でもどこでも仕事ができる」
サイボウズ 執行役員 人事本部長 法務統制本部長
慶応義塾大学法学部卒業。1999年大阪ガス入社、2001年サイボウズに転職。知財法務部門にて著作権訴訟対応、契約、経営、M&A法務を行った後、人事制度策定や採用業務に携わる。2度の産前・産後、育児休暇を経て2014年執行役員事業支援本部長に就任。2019年より現職。