家事も育児もこなしたうえで働くことが求められる
日本も共働き世帯の数が専業主婦世帯の数を上回ってからすでに20年ほどがたちます。それでも本当の意味で「二頭立て」で家計を支える社会にはなっていません。国際比較のデータでみると、「家計は夫婦両方で支えるべき」という意識が日本は世界で最下位です(図表1)。
その背景には、女性が働きに出ても、前提として「家事や育児もしっかりこなしたうえで働くんだよね」という男性やその親の考えが根強く残っていることがあるように思います。
確かに、夫が仕事、妻が家庭とハッキリ役割分担すれば効率は良いでしょう。妻が家事、育児の一切を担えば、家庭内での役割分担を考える必要はありませんし、夫の掃除や洗濯が雑に感じてやり直すといった妻にとっての面倒は起きないからです。ただし、男女の明確な役割分担が効率的だからといって、それで家庭が幸福かといえば、違うと思います。海外からは、日本人や日本社会は個人の幸福より、効率を重視してきたと見られています。
フルタイム男女の賃金格差は世界3位
結果的に日本社会では、男性が家計を支えるべきだという考えが未だに根強く残っています。女性の中にも結婚するなら家庭的な人よりも給料の高い人を選ぶ傾向があります。男性のほうが女性よりもたくさん給料をもらっているのも事実です。フルタイムの男女の賃金差のデータでは男女差は26.6%で、格差は世界第3位です(図表2)。
中には男性と同じ程度、あるいは並みの男性より多く稼ぐ女性も現れていますが、そういう人たちが男性に稼ぐ力より家庭的であることを求めるかといえば、そうでもありません。自分が失職したとき、自分の高給を埋めるだけの稼ぎのある男性を選んでいます。
非正規でも結婚できる女性と、できない男性の不平等
もっぱら男性が稼ぐことを期待される状況は、男性にとって「ツライ」ことです。昔のように正規雇用ばかりでなく、非正規雇用が広がり、自分1人では家計を支え切れない男性が増えています。それが男性の劣等感につながります。
非正規雇用の男性は、正規雇用の男性に比べて結婚率が低いというデータにも、男性の生きづらさが現れているように思います。女性の場合、非正規雇用と正規雇用との間で結婚率に差が出てくることはまずないでしょう。この男女の非対称性が存在することが問題なのです。
家計を家族単位でとらえる日本、個人単位のスウェーデン
一方、スウェーデン人は7人に6人が家計を夫婦双方で支えることに肯定的で、その割合は世界でもトップ3に入っています。日本に比べるとずいぶん家計の平等意識が強いと言えます。
理由として、日本がいまだ家族単位で家計を想定している社会であるのに対して、スウェーデンは完全に個人単位の社会であることがあげられます。たとえば日本の企業では今も支払われることの多い扶養手当がスウェーデンでは支給されません。
厚生年金や健康保険の制度にも大きな違いがみられます。日本では週の労働時間が20時間以上にならないと厚生年金や健康保険の対象になりませんが、スウェーデンでは基本的に本人の働く時間に比例します。労働時間が半分になればその期間については将来支給される年金も半分で計算されるという仕組みです。日本では、夫の扶養を外れない程度に働く時間を抑える傾向があるので、収入の差はなかなかなくなりません。
専業主婦が許されない社会
スウェーデンは、女性も働いて家計を支えるのが当たり前の社会ですから、日本と比べると女性は大変だとも言えます。日本の女性がスウェーデンの男性と結婚するときは、「キミ、結婚しても働き続けてくれるんだよね」と言われます。専業主婦が許されないんです。スウェーデンの女性は冗談っぽく「日本人の女性は家庭に入れていいね」と言います。
日本は男性よりも女性のほうが幸福感を得ているのに対して、スウェーデンでは男女の幸福感にあまり差がありません。そんなところにも男女の平等性が現れているのかもしれませんね。
「仕事も家庭も男女平等」が意味すること
スウェーデンは仕事も家庭も男女半々です。日本人は「北欧の人たちは労働時間が短くていいね」とよく言いますが、別に飲みに行ったり、家に帰ってテレビを見たり、音楽を聞いたりしてのんびりくつろいでいるわけではありません。残業せず早く家に帰る分、家事、育児で忙しいのです。会社が早く解放してくれるのは、遊びの時間を提供しているのではなく、家庭でハードワークしてくれということなのです。
このように仕事も家事も一生懸命やるのが北欧のスタイルです。日本では保守の政治家が、夫が仕事をし、妻が家庭を守るのが麗しい形であるなどと発言したりします。でも、離婚した女性の貧困率が高いなど、家族をベースにした社会モデルはほころびが広がってきています。そういう人たちを見捨ててまで、「麗しい社会」を押し通す理由はないと思います。