日本を代表するファッションデザイナーであるコシノジュンコさんは、ファッションの世界にとどまらず、花火のデザインやラジオのパーソナリティなど、さまざまなジャンルの仕事を引き受けてきた。コシノさんは「ある程度になったら、肩書きはとったほうがいい。肩書きが自分を邪魔してしまう」という。働くフィールドを広げていくには、なにが重要なのか――。

やる気になれば、何でもできる

まず、先入観を捨てること。いつも本気でいること。できないことじゃなく、できることを考える。そうすると何かが始まるの。人は本来やる気になれば、何でもできますからね。今の若い人のなかにはインターネットの映像を見るだけで世界を知った気になる人もいるようですが、それは本当にもったいない。実際に歩いて、目で見て、手で触れることでわかることがたくさんあります。

コシノジュンコ氏

海外に出て日本を外から見てみると、「日本はとてもすてきな国だな」とあらためて実感しますからね。たとえば中国から伝わったラーメンは日本に定着して進化し続け、世界中で日本食のひとつとして大人気というのも面白い話です。それは良質なものを合理的につくる、味や食感などを極めていく、といった知恵と工夫において日本人の才能がとても優れているからではないかしら。

今回は福島県による伝統工芸産業復興のためのコラボレーション企画で、伝統工芸産業に従事する11事業者に、JUNKO KOSHINOとしてデザインを提供しました。

現地に何度か足を運び、福島の伝統工芸の技術を活かし、“食”をテーマに現代のライフスタイルに融合するデザインを考えて。漆や会津木綿、陶器など11事業者と協力し完成した、キッチンウェアやテーブルセットはひとつひとつが手作りで存在感があり、すべてがアートです。私のデザインは常に、「世界の人が好きなもの」「実際に自分で使いたいもの」をイメージしています。

だから今回も世界があり日本があり福島があるという世界観のもと、JUNKO KOSHINO流のおもてなしの空間を表現しました。東日本大震災で多くの被害を受け、後継者問題などに直面している福島の伝統産業の復興と発展に、デザインを通してアプローチしています。

2012年ごろに福島出身の矢内廣さん(ぴあ株式会社社長)からコラボレーションの話がきたときには震災からまだ1年しか経っておらず、被災の報道の印象が強く、世界における福島のイメージがあまり良くなかったため、やや時期尚早で。そのときはシルクで生地を作るといったできる範囲にとどまったものの、こうして再び福島の伝統産業に寄与できることに、今こそ時が来たのだと感慨深く思います。

「日本人が日本をデザインしようよ」

(上)江戸時代から張り子を作り続ける「高柴デコ屋敷観光協会」とのコラボレーションで生まれた、コシノジュンコさんデザインのおいらん。うしろは虎、だるま。(下)日本最大級のファッションの合同展示会「rooms 34」で発表された作品から。コシノジュンコさんは、漆や張り子、会津木綿、陶器など、福島県内で伝統工芸品をつくる11事業者とコラボレーションし、それぞれにデザインを考案。事業者たちの手により新しい工芸品が生まれた。今春発売予定。

福島とはもともと縁があり、漆のものづくりは今回も参加している「漆器工房 鈴武」さんとともに、約40年前からJUNKO KOSHINOで行っていて。2000年にはヨーロッパ最大級のインテリアデザインの見本市「メゾン・エ・オブジェ・パリ」に漆器を出品し、「Les Decouvertes maison&objet(バイヤーズ賞)」をいただきました。

うちの漆の商品は以前にアルマーニやダナ・キャランが買っていて、デザイナーに評判がいい。今回のコラボレーションも、生産量と流通と価格のバランスの採算が合うなら、海外での販売もぜひしたいですね。

福島でできることはたくさんあります。東北は西洋からの影響があまりなく、昔ながらの独特の文化やデザインが今も息づいているので、それは世界から見たら大きな魅力です。今回の企画は私にとって新たな入り口に出合った感覚ですので、これからも継続していきたいですね。

今回の作品を発表した展示会「rooms 34」の会場で、1990年代に西武百貨店の取締役を務めた水野誠一さんと偶然お会いしました。私が漆を続けていることに対して、「継続は力だな。ずっと続けているのはジュンコさんだけだよ」と。うれしいですね。そして「日本人が日本をデザインしようよ」というグラフィックデザイナーの田中一光さんの言葉を思い出しました。今回の福島とのコラボレーション企画はまさに、この言葉を体現していますよね。

ところで、私は業界という言葉が好きじゃないの。デザインには本来、国境も言葉も業界も、垣根は何もないでしょう? なのに「ファッションデザイナーはファッションしかやっちゃいけないの?」と。肩書きがじゃまなのね。それがなければもっと広くいろいろなことが自由にできるのにって。

「もう肩書きはいらない」

これまでに私は、オペラや演劇の舞台衣装といったファッションをはじめ、国連代表部大使公邸での和食レセプションのプロデュース(14年)、インドやブラジル、沖縄・琉球海炎祭での花火のデザインなどをしてきました。すべて私一人ではできない大変なことばかりです。やっぱり出会いとコミュニケーションがとても大切ですよね。最終的にはコンピュータじゃなく、人と人がつくるんですから。

だから私は思いがけない仕事のオファーが来たときも、すぐに断ったりはしないで、まずは受けます。日経新聞の夕刊に週1回書いているコラムも、TBSラジオのパーソナリティーもそう。だっていろいろ考えたうえで私に言ってきているわけだから、意味があるはずでしょう?

受けてから、判断したり悩んだりします。感覚としては、サッと飛びつくよりも、「できるかな?」と不安げに相談しながら進めていくのが一番いいですね。不思議と「大丈夫かな、私にできるかな」と最初に思ったものほど、ちゃんと続いていくの。面白いものですね。

肩書きには自分で自分を狭めてしまうところがあるの。とはいえ最初は何かひとつ、自分の生き方を持っていないと人は認めないし前へ進めないという面もある。難しいところね。考え方としては、偏見を持たないでいること、人を年齢や肩書きだけで見ないことがとても大切よ。できればある程度になったら、肩書きはとったほうがいいわね。肩書きを言わなくても通るようにしなきゃ。近ごろ私は「もう肩書きはいらない」といつも言っています(笑)。

コシノジュンコ
大阪府岸和田生まれ。文化服装学院デザイン科在学中、19歳という若さで装苑賞を史上最年少受賞。1978~2000年のパリ・コレクション参加のほか、世界各地でファッションショーを開催。オペラやブロードウェーミュージカルをはじめとする舞台衣装、スポーツユニホームからインテリアデザイン、花火デザインまで、幅広く活躍する。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会文化・教育委員。TBSラジオ「コシノジュンコMASACA」でラジオパーソナリティーも務める。