東京湾の海の上に建設中の新海面処分場。海に埋め立て地をつくり、いずれ人が暮らすその場所で祖父世代の作業員たちを統括する女性監督第1号に。

東京・新木場駅から車で10分ほどの埋め立て地に、東亜建設工業の東京統括事務所はある。2階建ての簡素な建物。東京湾に出るための運河が通る。まだ日が昇らない冬の早朝、高橋ひろ子さんは作業着に着替え、その船着き場から「交通船」と呼ばれる小型船で、「新海面処分場」という新しい廃棄物処分場の施工現場に向かう。

東亜建設工業 東京統括事務所 現場監督 高橋ひろ子さん

そこでは海上で護岸建設工事が行われ、停泊する浚渫船(しゅんせつせん)では十数人の作業員が寝泊まりして働いている。夜明けとともに仕事が始まる現場において、高橋さんは同社でも数少ない女性現場監督の一人である。「冬の明け方の海は本当に寒くて……」と彼女は言う。

「この時期になると『冬の寒さと夏の暑さ、選ぶならどっちがいい?』と決まって話題になるんです。でも、いつも答えは『どちらも嫌』。それくらい海上は過酷な現場ですね」

しかし、悪いことばかりでもない、と彼女は笑う。朝8時の朝礼前に浚渫船に着くと、晴れた日には真っ赤に染まる海を見ることもできる。冬の透き通った空気の中で見る夜明けは、彼女にとっての特別なものなのだ。

以前に担当した工事現場は、臨港工業地帯に広がる製鉄会社の敷地内にあった。製鉄所の溶鉱炉は24時間操業だ。同じようにまだ薄暗い時間帯に構内を車で走っていると、様々な建屋や煙突の水銀灯の光がそこら中できらめいていた。まるでSF映画の世界のようで、彼女が「この仕事を選んで良かった」とふと思うときだった。

橋、道路、ダムに魅せられ建造物をつくる仕事に

「私がこの会社に就職したのも、学生時代に橋や道路、ダムといった大きな建造物に言葉にできないカッコよさを感じたからです。計算された曲線や機能美。特にインフラは設計者の名前はおもてには出ないし、まさに縁の下の力持ちという感じがして好きなんです」

高橋さんは1984年、北海道の札幌市に生まれた。高校生の頃から「地元を出たい」という気持ちが高まり、大学は愛媛大学の工学部に進学。在学中に四国と本州を結ぶ西瀬戸自動車道(通称:しまなみ海道)が全線開通し、見学で訪れた橋の美しさに胸をうたれた。大学院進学後、担当教授の推薦で受けたのが東亜建設工業だった。

【上】東亜建設工業土木職の現場勤務者の構成/土木職の女性現場勤務者は、高橋さんをはじめとして、年々増えてきている。【下】仕事の必需品/通う現場は海の上。ライフジャケットとヘルメットは必須。防水の手帳と計算機なども。

同社は海洋土木を得意とする「マリコン」として、100年以上の歴史を持つ建設会社である。長い歴史の中で東京湾の埋め立てを担ってきた。事務所の先に広がる広大な廃棄物処分場である新海面処分場もまた、これまでに手掛けてきた埋め立て事業の一つだ。

学生時代から「建設会社で施工管理の仕事をしたい」という思いがあった。

「大学で土木を学んだからには、建設業にどっぷり漬かって働きたい。工事現場はその最前線です。多くの人と協力しながら、一つのものをつくり上げていくイメージに魅力を感じました」

最初は横浜にある研究所に配属された彼女が、実際に工事の現場で働き始めたのは入社3年目のことだ。その頃の東亜建設工業には、総合職の技術者として施工管理を担当する女性社員は一人もいなかった。とりわけ海洋における現場は、建設業界でも女性が少ない分野である。小さな事務所ともなると、女子更衣室や女子トイレがないことも当たり前だった。

「最初はどこに行っても『おお』と驚かれましたね。でも、現場の人たちにはとても温かく迎え入れられたという感触があります。父親どころか祖父くらいの職人さんも多いのですが、『暑いのに大変だな』ってチョコレートをもらったり――。いまではそんな思い出ばかりが胸に残っています」

大きな転機となったのは、千葉地区の国道357号の地下立体化工事の管理を約1年半に亘って任されたことだ。

それまでの仕事は少人数で比較的単純なものだったが、大勢の作業員が働く道路工事は勝手が違う。複数の協力会社がそれぞれ異なる作業を担っているため、資材の発注や管理、作業の効率的な進め方などの要素が絡み合い、元請けの責任者には複雑なマネジメントが要求されるからだ。

「現場で最も私たちが気を使うのは安全です。でも、長い工事になると、『これくらいはいいかな』という甘えが、作業員さんたちの中に出てきてしまう。また、作業や手配が遅れると、職長さんたちもかなり厳しい言葉で話をしてきます。その中で『まあ、ひろ子ちゃんが言うならしょうがないか』『よしなんとかしてやろう』と言ってもらえる関係をいかにつくれるか。それが現場監督の力の見せどころですが……」

怒鳴られ、板挟みになり自信をなくした新人時代

当初はそれがうまくいかず、協力会社の職長からは怒鳴られ、上司である事務所長からは「こんなことは小学生にもできるだろ!」と叱責されることもあり、すっかり自信をなくしていた時期が続いた。

現場には交通船と呼ばれる船で向かう。天候によっては揺れる船内も慣れたもの。信頼する船長や作業員との会話も弾む移動時間。

「でも、振り返ると、そうやって怒られながら、自分は施工管理の仕事を学んでいったんです」

現在、新海面処分場の護岸工事を監督する彼女について、先輩社員の一人は「若い男性社員と比べても負けないほど頼もしい」と太鼓判を押す。土木工事の現場で何より大切なのは、協力会社との信頼関係だ。安全上のルールや作業の手順を決める際も、「この人の言う通りにやっていれば、間違いなく仕事が進む」という信頼があって、初めて円滑に進む。

「彼女は言いたいことをきちっと言えるし、相手も遠慮なく付き合える。それが自然とできることが、この仕事の最も重要な資質です」

そんな中、高橋さんが海洋土木の現場を現場代理として初めて担当したのは、東京統括事務所へ異動した2015年のことだ。同社は他のゼネコンと異なり、軟弱な地盤を改良する深層混合処理船「黄鶴(こうかく)」や浚渫船などの巨大な作業船を持つ。初めてそれらを見たときは、あまりの大きさとダイナミックさに圧倒された。そうした巨大な作業船を用いて、自然を相手に工事をすることに、いまでは醍醐味を感じている。

【上】休みの日は夫とドライブに出かける。動物が大好きな夫と共に牧場や動物園にもしばしば足を運ぶ。【下】旅行でリフレッシュするときは、大自然の中へ。黒部・立山に旅行に行ったときには、ダムにも足を運んだ。ダムなど大きな建造物は、やはりとても惹かれるという。

そして、海洋土木の面白さをそう語る彼女の将来の目標は、同社における女性初の事業所長になることだ。

「全国に大小様々な現場事務所がありますが、その一つひとつは一個の会社みたいなもの。管轄の工事のすべてに所長が責任を負っています。そうした環境で自分がどんなふうに力を発揮できるのか、いつか試してみたいです」

入社から5年が過ぎ、当初は自分一人だった女性の現場監督も、少しずつ人数が増えてきている。東京統括事務所では彼女を含めて2人。後輩たちともときどき女子会を開き、盛り上がる。

「どの現場に行っても『この前も現場に女の子がいたな』と言われるくらい、女性がいる風景が普通になっていくといいですね。ただ、いまの私は後輩の手助けをできるほどの自信や余裕を持ちたくても、自分の仕事だけでまだまだ精いっぱい。少なくとも彼女たちの足かせにはならないよう、日々努力を重ねていきたいと思っています」

 

▼高橋さんの24時間に密着!

6:00~6:30 起床
6:30~7:00 自宅出発
7:00~7:30 事務所で一日の準備
7:30~8:00 現場へ移動
8:00~8:30 朝礼・体操
8:30~12:00 現場巡視・品質確認/資機材発注・調整
12:00~13:00 昼食
13:00~13:30 工事打ち合わせ
13:30~16:30 現場巡視・品質確認/資機材発注・調整
16:30~17:00 現場から事務所に移動
17:00~17:30 事務所にて打ち合わせ
17:30~20:00 書類作成など/事務作業
20:00~21:00 帰宅
21:00~22:00 夕食
22:00~23:00 入浴・読書/その他家事
23:00~24:00 TV・夫と団らん
24:00~6:00 就寝

【左上から時計回りに】現場に着いたら打ち合わせ後は、しっかり体操。/船で現場に。備品などを運ぶこともしばしば。/現場でタブレット端末を使って進捗確認。/事務所に戻った後は、申請書類や発注書を作成。
 
高橋ひろ子
東亜建設工業 東京統括事務所 現場監督。1984年生まれ。2010年、東亜建設工業入社。技術研究開発センターに研究員として配属。12年、千葉支店への異動を機に初めて現場の担当技術者となり、地盤改良工事に携わる。その後、桟橋補強工事や国道の地下立体化工事などにあたり、15年4月より新海面処分場事業を担当。