夫が転勤のため、シングルマザー状態に
私はこの横浜北支店で、大和ハウスの建設する賃貸住宅の現場監督をしています。現場監督というのは正式には主任技術者と言います。戸建て住宅の場合は1人の主任技術者が何棟も同時に受け持つことができるのですが、集合住宅では10キロ圏内で2棟までと法律で定められているんです。なので、ここに来てからは1つの現場の工事事務所に常駐することを繰り返しながら、工程や安全の管理、品質の確保といった業務を続けています。
私には3歳になる男の子がいますが、子育てと仕事の両立はいちばん悩むところですね。実は夫が出産直前に名古屋に転勤になって、単身赴任をしているんです。この仕事は朝8時に必ず朝礼をしなければなりませんし、夜も時間通りに終わらないことがあり、保育園のお迎えが間に合わない時はベビーシッターさんをお願いしています。
夫の転勤が決まった時は、復帰するかどうかしばらく悩みました。でも、これまでいろんな壁を乗り越えて続けてきた仕事を、簡単に「できない」と思い込んで辞めるわけにはいかない、という気持ちが勝ったんです。実際に復帰してみれば、上司や後輩にフォローしてもらったり、前日の夕方に朝礼の打ち合わせをすませたりすることもできるんですよね。綱渡りみたいな毎日ではありますが、自分の働いている姿を見せることも子育ての一つ。今はそう思って現場に向かう日々を送っています。
お嬢さん、なぜここに?
1997年に大和ハウスへ入社した私は、これまで一戸建て住宅の工事課に3年、設計の部署に8年、そして6年前に現在の賃貸住宅の現場と複数の職場を渡り歩いてきました。いろんな思い出が胸に残っているのは、22歳で建築現場に配属された最初の3年間です。
大学時代に構造設計の研究室にいたので、入社のときは設計の部署を希望していたんです。でも、配属されたのは仙台支社の工事課。しかも仙台では女性初の現場監督だったんですよ。
「女性の現場監督」はここ最近になって少しずつ増えてきたとはいえ、今も昔も工事の現場というのが職人さんたちの徹底した男社会であることには変わりありません。特に当時は支店の上司も私にどう接したらいいのか戸惑っていたくらいだったので、それこそ現場では「このお嬢さん、どうしてここにいるの?」という感じでした。女性が現場に入ること自体がほとんどなかったので、監督として見てもらえないどころか、全く相手にしてもらえないんです。
現場監督である私からしてみても、周りにいるのは自分の父親みたいな世代の人たちばかり。口をきいてもくれない人もいれば、可愛がってくれる人がいても子供扱いで、そもそもの前提として社会人として扱ってもらえない。もう最初は途方に暮れるしかなかったですね。
若い頃は勉強に必死だった
職人さんたちはどの方も、長く大和ハウスの仕事を請け負ってきた知識もプライドもある人たちです。新人の私が何かの意見を言っても「おまえに話しても分からない」という雰囲気なのが当たり前でした。ただ、それでもこれが私の仕事なのですから、毎日現場に向かっていかなければならないし、彼らと話もしないといけない。
実際に工事が進んでいくと、お客様のイメージと異なる箇所が出てきたり、やり直しをお願いしたりすることもあります。私の指示では職人さんたちが動いてくれないようなときは、上司や先輩に助けてもらわなければならないことも多々ありました。
その意味ではお客様も不安だったと思います。工事に不安感を抱いているお客様は、質問をたくさんしてこられるものなんですね。これは今も全く同じですが、その一つひとつに明確に答えていくことで、お客様に信頼されていくことも現場監督の大切な役割です。だから、若い頃は本当に必死で勉強をして、「日下さんが言っているなら大丈夫だね」と言ってもらえるように努力をしました。
1974年宮城県出身。97年東北工業大学 建築学科卒業後、大和団地(現・大和ハウス工業)入社 東北住宅営業所 住宅工事課に配属。2000年仙台木造住宅営業所 設計課。01年大和ハウス工業 仙台木造住宅営業所 設計課。その後、関東木造支店・技術本部などで分譲住宅や街づくりなどの設計に携わる。08年横浜北支店集合住宅工事課。11年からの育児休業を経て13年より現職。