「復旧」と「復興」の違いとは

東日本大震災で受けた被害を復旧するにあたって、マネジメントの力が再認識される。復旧のための諸課題が定める、その課題をできる限り、予定される資源と時間の中で解決する。解決に至る行程表を作成し、その進捗管理(プロセス・マネジメント)を図る。これがマネジメントであり、被災者の方々の切実な要望に応えるために、寸秒のずれをも許さない隙のないマネジメントが必要とされている。

実際、「復旧の諸課題は、明確にされたのか?」「予定される時間内に課題解決するに十分な資源は、確保されているのか?」「行程表を作成して、時間は管理されているのか?」「発表された行程表通りに、順調に進んでいるのか?」等々、国会の中であるいは新聞やニュースの中で盛んに議論される。

こうしたマネジメントは、明確な課題を合理的に解決するためのマネジメント、つまり「合理的思考のマネジメント」と呼ぶことができる。

だが、それに加えて、今回のような大震災においては、それとは対極にあるもう一つのマネジメントが必要とされている。そのマネジメントとは、「復旧」ではなく、「復興」に向けたものである。それはまた、先の「合理的」という言葉に対比させて言えば、造語だが「対話のマネジメント」(あるいは、「対話を通じて曖昧さを縮減するマネジメント」)と呼べる。

復旧と復興という言葉については、ここでは、「復旧」とは、壊れたり傷んだりしたものを元の状態に戻すこと。「復興」とは、以前あった盛んな状態に新しい姿で戻ること、と理解して使っている。

デザインという言葉はよく使われる。建築、衣装、経営戦略など、いろいろな局面で使われる。その語源は、「考えや思いを記号に表す、形にする」ということであるらしい。いずれの局面で使われるにしろ、デザインとは、「何かこれまでになかった新しい視点から、物事を組み立てる」という創造性が深く関係することが見て取れる。

デザインと創造性の関係に関連して、有名なデザイナーの方の本の最初に、「わかるとは、どういうことか」が書かれていた(原研哉『デザインのデザイン』岩波書店)。

コップとは何か、だれでも、わかっていると思っている。これはコップ、これはお皿と、幼稚園児でも簡単に区別できる。だが、コップをデザインしてほしいと言われたとしよう。あらためて、「コップとは何か」と考えると、少し戸惑いが出てくる。

さらに、縁を少しずつ広げられたコップと、縁を少しずつ狭めていった皿とがズラッと並べられて、「どこからコップですか」と問われると、さらに戸惑いは深くなる。他愛のない話に聞こえるかもしれないが、わかっていたはずのことでも、実は曖昧なものであることを知る。

創造のためには「合理」よりも「曖昧さ」

秩序が混沌に転じるさいの戸惑い。一見、それによってコップについての認識が後退したように見えるが、そうではない。「わかっていたように思ってしまっている」ことが、むしろ問題なのだ。わかっていないことがわかると、より深い認識に到達する契機となる。逆に言うと、より深い現実認識に到達するために、一度、すでに持っている常識的な認識を疑うことが必要である。創造のためにはまず、曖昧さを生きなければならない。そのデザイナーの方は、最初にそのことをわれわれに教える。

震災「復興」においてはとくに、問題解決を目指しての合理的判断よりむしろ、曖昧な中での舵取りが要求される。復興に向けて、さまざまな検討すべき問題が生まれる。まず、「従来の形に戻す復旧でよいのか、あるいはあらためて根本的に生活のありようを変える復興にまで踏み切るのか」といった問題から考えないといけない。

復興に向けて舵取りをするとして、「どのような価値を旗印にするのか」の問題がある。どのような価値を旗印にするのかを定めるとなると、「人にとって、生きるとは、どういうことか」という究極の価値問題に踏み込まざるをえない。「生きることとは、働く充実のこと?」「趣味・文化の充実のこと?」「生活の安全が保証されていること?」「仲間と一緒のコミュニティの充実のこと?」……。復興を考えるとき、その一番基本的な問題が実は曖昧なままであることに気がつく。

どれに強調が置かれるかで、復興の姿は大きく違ってくる。人により、地域により、答えは大きく違うだろう。