何年も「英語の重要性」が叫ばれているが、子供の英語力は向上しないどころか、むしろ後退気味……。一体、その原因はどこにあるのか? 「日本語力の低下と深い関係がある」と教育について数多くの著作を持つ、思想家の内田樹さんが分析。英語以上に国語の重要性を力説する彼に、その真意を問う。

内田 樹(うちだ・たつる)
思想家、武道家、翻訳家、神戸女学院大学名誉教授。1950年、東京生まれ。専門は、フランス現代思想、ユダヤ文化、映画、武道等、幅広い。

「英語を学べ」とメディアをはじめ社会も、文部科学省も騒ぎ立てる昨今。特に文科省は2002年から、「英語が使える日本人」の育成のための戦略構想を発表しているが、子供たちの英語力が向上したかと問われれば、甚だ疑問だと答えるしかない。大学生にしても、英語力についての評価は高いのに英語力そのものは低下し続けるばかり。この矛盾した事態はなぜ起きたのか?

英語力が下がった理由は「英語を学ぶと将来的に有利」などと、英語力を実利に結びつけるようになったからである。学習の“報賞”があらかじめ開示された場合に、子供たちはいかに効率よく“報賞”を手に入れるかを考える。最小の学習時間で、最大の効果を求めるようになり、最も費用対効果のよい学習法を探すようになる。書店に「6週間でTOEICのスコアが100点上がる方法」と「3週間で100点上がる方法」が並んでいれば、ためらわずに「3週間」の本を選ぶだろう。「聞き流すだけで英語力が上がる」とか「居眠りしながら英語力が身につく」とかいう商品が市場にあふれている。これらはすべて「最小の学習努力で最大の効果」をめざしている。頭がいい子ほどその傾向は強い。その結果、子供たちに「英語ができるといいことがある」というアナウンスをすればするほど、彼らの英語学習時間が短くなるという奇妙なスパイラルが生じたのである。

かつての「英語が好き」な子供たちは、誰に言われなくても英語の小説を読み、英語の音楽を聴き、英語の映画を観て、厚みのある英語力を身につけた。そのようにして得た英語力は試験の点数にそのまま反映されるわけではない。無駄が多すぎたからである。入学試験に出るはずのない「無用の知識」を大量に含んでいたからだ。けれども、その「試験には出ない知識」が彼らの英語力の厚みを形成していた。