桐竹勘十郎

1953年、大阪府生まれ。本名・宮永豊実。68年、吉田簑助に師事し、吉田簑太郎を名乗る。師匠から女形の芸、父から男役の芸を学んだ。2003年、父の名を継いで3世勘十郎を襲名。08年、芸術選奨文部科学大臣賞受賞、紫綬褒章受章。この2月23日に『KANJURO 人形の世界』を自らのプロデュースで公演。「通常の演目のほか、トークや対談、チェロ独奏で演じる『関寺小町』なども予定しています。多彩な趣向で“人形”の魅力をあますところなく紹介できればと考えています」。

 


 

人形一体を3人の人形遣いが操るなんて、ユニークなことを考えるでしょう。こういうことを、300年前に思いついた先達がいるんですね。

文楽の人形遣いは、主遣いが首と右手を、左遣いが左手を、さらに足遣いが人形の足を操ってます。誰かが誰かに合わせているわけやないんです。呼吸が自然と合う。それがすべてといってもいいくらい。人形は大夫の語りと三味線にのって演じますが、これも呼吸が合うかどうか。

初日前、全員での稽古は一度しかなく、動きも決められているわけやない。言葉も交わさず、その場その場でぱっと呼吸を合わせていく。人形の足遣いなど、長年の修業が瞬間に表れます。人形遣いもいつも同じトリオというわけではありませんので、誰と組んでも一体感が必要です。

大夫と三味線の関係も主従はなくて、緊迫した呼吸の積み重ねで互いの息を合わせます。何十年も修業を積んできた者が一瞬一瞬にすべてを出し切ります。微妙な呼吸で成り立っているわけですが、すべてがうまくいくとは限りません。それでも、数年に一度、「今日の舞台は完璧や」というときがあります。人形遣い、大夫、三味線の三者の呼吸が合うて、芸が真ん中でぶつかる。演じていて、もう鳥肌が立ちます。

文楽の人形は、生身の人間以上の表現力を持つと言われます。なぜでしょうね。ぼくらは舞台を生で観られへんので(笑)。

人形の役になり切ることが大事と言われますが、少し離れて醒めて見る感覚も大事。ぼくらは役者でもあり、人形を遣う技術者でもある。そのバランスが難しいところです。その瞬間がたまらないと言っていただくと嬉しいですね。

「世界無形遺産」となった日本の伝統芸能の一つですが、どうも言葉で説明してもうまく伝わらないようで。とにかく劇場にいらしてください。難しそうだと構えず、ただ観るだけでええんです。

舞台のあとは、たっぷり飲んで食べます。結構体力を使いますし、ぼくの場合は演じる前にはほとんど物を食べません。夜の部がひけると、ものすごい空腹感です。だから、夜の食事は一番の楽しみで、かなり時間をかけて食べます。

どちらの店も、呼吸が合っている。料理、雰囲気、サービス、シェフの人柄……。これも言葉での説明はもどかしい。どうぞ、足をお運びになって料理を召し上がってみてください。