大前さんが現在取り組んでいる「人を創る仕事」。ここからはその受講生たちの体験談を紹介する。最初に登場するのは、ビジネス・ブレークスルー(BBT)の創業以来プレジデント社と提携して行われてきたアッパーミドルクラス対象の通信教育事業「大前経営塾」の受講生。半年に一度塾生を募集し、受講期間は1年間。遠隔授業プラットホーム「エアキャンパス」を使い、月替わりのテーマごとに、映像講義を受け、課題図書の輪読会やサイバーディスカッションに参加し、最後に修了論文を書いて卒業となる。卒塾式では塾長である大前さんが直接、卒塾証を手渡している。

9年前に語った決断

小野昭男さん(小野食品代表取締役)。1956年、岩手県釜石市出身。鹿児島大学水産学部卒業後、ジャスコに勤務。1982年、父の死に伴い釜石に戻り家業の水産加工業を継ぐ。1988年に法人化し小野食品を設立。

「PRESIDENT」誌では、半年ごとに卒塾生を取材し「大前経営塾体験記」と題した記事を掲載してきた。9年前に以下の記事がある。

「地方の会社も世界的な競争に曝され始めている。生き残るために、大手と差別化できるだけの、自分たちの戦略をしっかり持たなければいけない」

受講の動機をこう語るのは、岩手県釜石市で水産食品加工会社を営む小野昭男さん(47歳)だ。(中略)

危機感を持った小野さんが受講を始めたのは、02年10月。4月に始まる第一期は見送った。大手企業の部長クラスの人材が集まると耳にした小野さんは「地方の中小企業の経営者である自分が入っても太刀打ちできないのではないか」と躊躇していた。

《出典:「大前経営塾」体験記(山川 徹=文)「PRESIDENT」2004年3月1日号掲載》

9年前を振り返り、小野さんは語る。

「経営塾を経験していちばん良かったと思うことは、誰と話してもビビらなくなったということです(笑)。私は岩手の片田舎で、コンプレックスのようなものがあったんです。でも、自分がエアキャンパスの上で何か発言すると、丁寧にいろんな質問をしてくれたり、サポートしてくれたりする人がいた。そういう人たちとのやりとりの中で、自分を否定する必要はないとわかったし、同じようなことで悩んでいる人もたくさんいるとわかったんです」

9年前、小野食品の売上高構成比のほとんどは問屋に卸す商売が占めていた。だが、その市場は輸入品相手の厳しい価格競争を求められるものへと変わり始めていた。大前経営塾修了から1年後、小野さんは直販ビジネス「三陸おのや事業」に着手する。2005年4月、手始めに釜石の本社工場前で、鯖の味噌煮などの直販を行った。お客は従業員の関係者をクチコミで集めた。翌月、二度目の開催には多くのリピーターが来た。冷凍庫に入れておけば新鮮さは保たれ、解凍すればすぐにおいしく食べることができる、食べやすいように加工済みの新鮮な海産物。自社商品の強味を小野さんは確信する。そこからこつこつと販路を広げてきた「三陸おのや事業」が大きく飛躍したのは2010年10月だ。

「2009年10月に、『海のごちそう頒布会』とブランド名を付けて、初めての新聞広告を神奈川新聞と神戸新聞に出しました。それまでの直販の経験から、新聞広告が効く50~60代が中心顧客層ということがわかってきましたので、大都市周辺のその層を狙いました」

翌年3月には地元の岩手日報に広告を出す。初めてのカラー広告だった。注文が殺到。その後も小野さんは、あえて白黒での出稿を行い「やはり食材の広告はカラーが効く」と確認している。経営塾を修了したあと、「マーケティングをもう少し勉強したい」と、小野さんはアタッカーズ・ビジネススクール(ABS)も受講している。

全国に展開した「三陸おのや事業」は小野食品の主力事業へと成長していく。9年前に約70人だった従業員数は100人を超えた。食材のパッケージング施設とコールセンター部門の増設を決断した小野さんは、投資を決断する。2億7000万円を投じ、コールセンターを併設した新工場が建てられたのは、釜石市の北隣、岩手県大槌町。落成は2011年2月、震災の1カ月前だった。