つきつめて考えれば「空」の世界には「こうしなければならない」という基準はありません。しかし、ノルマに追われ「やらなければ」という思いにとらわれてしまうと、さらにノルマが重くのしかかってきて苦しくなります。

この金縛り状態から解放されるには、原点に戻り「目の前のことを全力でやる」ことです。行き詰まりを感じたときほど、一歩引くよりむしろ一歩前に突っ込んでいく。「やらねば」と持て余していた対象にあえてドカーンとぶつかっていくのです。対象と一体になることで、辛いとか苦しいという思いが消え、新たな道が開ける。つまり「無心」になって取り組むことが停滞期を乗り切るための智慧なのです。

「捨てていけば、すべて満ちたり」。これが私の哲学です。以前、私は小学校から大学までの卒業証書をすべて捨ててしまったことがあります。それだけでなく、今まで趣味のように取得してきた数々のライセンスについても、証書をほとんど処分しました。たいていの人は口を開けて驚きますが、証書を「えいやー」と思い切って捨てることで学歴や肩書といった執着から離れ、前に進みたいと思ったからです。これは私流のやり方ですが、執着から離れるにはカタチのある身の回りのものから捨てていくのも一つの方法です。小さなモノサシを手放し、有にも無にもとらわれず、無限に広がる空の世界に生きることは、実に快適です。

例えば「不増不減」という句が『般若心経』に出てきます。私たちは、お金が「増えた、減った」といって一喜一憂します。お金が減るのは不安。お金がないのも確かに不安。その不安を解消するために私たちは貯金や資産運用をしますが、不思議なことに、お金が増えても不安は不安、心配は心配。それどころか、お金が増えれば増えるほど、また別の不安感が増大するようです。

今、持っている資産をどう減らさないようにするか? せっかく貯めたお金を奪われたりしないだろうか? 豪邸のセキュリティーをどうするか? 不安の種は、むしろ資産と比例するように増えていきます。欲望と不安の追いかけっこは延々と続くのです。

いったいお金が増えた、減った、という基準はどこからくるのでしょうか。これは人によって千差万別です。今、日本の給与所得者の平均年収は450万円ほどですが、この金額を本当に平均的と感じる人もいれば、少ない、あるいは多いと感じる人もいるでしょう。また、その時々の資産の状況や心のあり方によって、同じ金額が少なくも多くも感じられます。

このように『般若心経』は、増減の感覚がまるであてにならないことを私たちに教えてくれます。「不増不減」は「増えたり、減ったりしない」。つまり、モノの増減という現象も「空」であり、実体がないということです。「増えた」も「多い」も、「減った」も「少ない」も私たちがそのように感じただけ、個々の小さなモノサシで判別した結果であり、判別しなければ、そんな現象はもともとないのです。

(松田健一、平地 勲=撮影)