「俺は大槌出身なんで」

JR盛岡駅前にある新渡戸稲造(国際連盟初代事務次長)の胸像。

岩手県立盛岡北高校3年生の菊池健太さん。志望は外交官。外交官にもいろんな仕事があると思うのですが、どういう仕事に興味がありますか。

「外交官って国と国とのやり取りの間に立つ人じゃないですか。たぶんその人次第でその国との接し方とか変わるじゃないですか。そういうおっきなことやってみたいなっていうのがひとつあるので」

たとえば尖閣問題、俺ならこうするというアイデアはありますか。

「それをこの前、世界史の先生と話したんですよ。先生、イスラエルとか海外いろいろ回ってる人なんで。『とりあえずアメリカの軍艦を、あそこ1回通せば終わるんじゃね?』とかって結論に至りました。でも、沖縄の基地問題があるから無理だろうという話にもなりましたけど」

そういう話を先生としているとき、菊池さんは楽しいですか。

「楽しいです。先生、すごい人なんで。先生、夏休みにギリシャ行って来たんです。その前はモロッコとインド行って来て。進路選択するときに先生の影響、けっこう入ってます。すごい、あの人、気持ちいい」

大学に行くこと以外に、外交官になるまで手に入れる必要があると思っていることは何ですか。

「まず話せることが前提なので、第二言語でドイツ語取って、第三言語でスペイン語取るって考えてるんです。ドイツ語は一関高専に行ってた兄さんが、高専で取れって言われたらしくて、もうドイツ語しゃべれるんです。その影響で。辞書もあるし。スペイン語は、ただスペイン行ってサッカーが見たいだけで(笑)。いちど本物を見てみたいという、ただそれだけで」

仕事をするとき、菊池さんはどこに住んでいますか。

「たぶん海外の僻地ですね(笑)。そこでのうのうと暮らしています。それはそれで楽しいかもしれない。守んなきゃいけない墓は兄さんに任せます。家ですか。老後の楽しみで買うかもしれないですけど、それまではたぶん転々とするから買わないんじゃないかなあ」

そういう菊池さんと結婚して一緒に引っ越してくれる妻って、どういう人ですか。

「日本人で。東北人。盛岡市民ですね」

ということは幼馴染み?

「いや、こっちに幼馴染みはいません。俺は沿岸の大槌出身なんで。震災があってこっちに引っ越して来たんで。大槌は高1の震災のそのときまでいて、釜石高校に通ってました」

菊池さんの親御さんは何屋さんですか。

「父が岩手銀行社員で、母は専業主婦です。震災のとき、父は盛岡の支店にいたんですけど、転勤で一関とか八戸とか、いろいろと回っています。父のふるさとは釜石です。俺は1歳から高1までいた大槌がふるさとです」

お父さんから仕事の話を聞いたことがありますか。

「なんで岩手銀行に入ったんだよみたいなことは、前から知ってます。なんで銀行員になったのって聞いたら『一応これがあったから』。『お勧めめする?』って聞いたら、『勧めない』って言ってました。『ほんと神経すり減らすよ』って。お金、1円でもミスったら、もう終わりですから。たった1円と思うかもしれないけど、それが大事って。厳しいですね。見ててそう思いますね」

次に登場するのは、盛岡の南、花巻市から来てくれた高校生だ。