JRが新宿駅をつくるような大事業

【東京モノレール 羽田空港国際線ビル駅】モノレールを下車し改札口を出たところが、国際線ターミナルの3階フロア。写真左手奥に出発ロビーがある。

JR山手線と接続する東京都心の浜松町駅を出発してからおよそ13分。青・白・オレンジなど鮮やかな色に塗り分けられたモノレールが、ゆるやかにカーブしながら真新しい建物に吸い込まれていく。10年10月に開業した東京モノレール・羽田空港国際線ビル駅だ。

ホームに降り立つと、そこは国際線の出発ロビーがある3階フロア。羽田空港はこの秋、D滑走路の供用開始にともない実に32年ぶりに国際線定期便を受け入れた。その玄関口が国際線ターミナルだ。

新駅建設の責任者で東京モノレール常務取締役の英紀一が、ニコニコしながら改札の外を指し示す。

「世界的に見ても、ここまで出発ロビーに近い鉄道駅は珍しいと思いますよ。ほら、改札から段差なしにカウンターまで歩いていけますから。私どもは『出発ロビーまで1分』とご案内しています」

当然ながら浜松町でモノレールに乗り換えてから出発ロビーに並ぶまで、最短で14分しかかからないということだ。驚くべき速さである。

国際線ターミナルにはライバル京浜急行も新しい駅を開設した。だが、京急の羽田空港国際線ターミナル駅は、建物の地下にホームがある。品川駅から最速13分と到達時間では引けをとらないものの、駅を出てからエレベーターやエスカレーターでの移動が加わるため、利便性ではモノレールに一歩譲るといっていい。

東京モノレール 常務取締役 
英 紀一 

1957年、東京都生まれ。81年、早稲田大学理工学部卒業、日本国有鉄道入社。87年からJR東日本。2003年、ガーラ湯沢社長。05年、日本ツーリズム産業団体連合会事務局長。08年から現職。

わずかだが、印象的なアドバンテージ。それをもたらしたのは、東京モノレールの全社員が、新駅建設にかける経営陣の執念や危機意識を共有できたことである。社長の中村弘之が代弁していう。

「うちは全社員300人の小さな会社です。1つの駅を開業させるといっても社運をかけた大事業なんです。今度の新駅は(親会社である)JR東日本でいえば(乗降客数日本一の)新宿駅を新しくつくるようなものですよ。これをやり遂げるには、全社員が一丸になるしかないんです」

どうやったら「やり遂げる」ことができるのか。そのための仕掛けをつくり、実践のため、ときにはヘルメットをかぶり汗まみれで奮闘したのが英である。こう振り返る。

「10年4月10日から11日にかけて、列車の運行を止めてレールの切り替え工事を行いました。53メートル、280トンという巨大な橋桁を取り付ける難工事です。あのときはまさに全社員が一丸となってプロジェクトに立ち向かいました。たとえば運休になった途中駅の昭和島から羽田空港までお客様をバスで輸送したのですが、ご案内にはすべて乗務員や駅員があたりました。私自身も建設会社の作業員とともに切り替えの現場に立ち会いました。新しい線路に試運転の列車が通ったのは朝の5時半すぎですが、そのときみんなが一斉に漏らした安堵のため息が忘れられないですね」

従来のモノレール軌道はターミナルから250メートルほど多摩川寄りを走っていた。軌道上に駅をつくれば、駅からビルまでを空中通路で連絡するしかない。それだと費用はかからないが、地下駅を設ける京急に対してとくに有利とはいいきれない。

そこで東京モノレールは、レールの一部移設(切り替え)を含む新駅建設計画を打ち出した。英が立ち会った切り替え工事とは、「出発ロビーまで1分」を実現するための重要な工程だったのである。

だが、難工事が予想されていただけに、不測の事態が発生し、モノレールの運行再開まで予定より1時間ほどの遅れが出てしまった。