「地元は"like"ですね。"love"ではない」

「あまちゃん」地元で盛り上がっていますか? 「かなり盛り上がってます。クラスでも芸能人に会った、サインをもらったと大騒ぎになりましたし、私自身も俳優さんとすれ違い、友人と大興奮したのを覚えています(笑)。自分が住んでいる町を第三者的な視点から見られるというめったにない機会なので、とてもドラマが楽しみです。また、他県の方々が久慈市の魅力を感じてくださったら嬉しいなと思います!」(小室好さん談)

久慈高校2年生の関口ゆかりさん。将来の志望は薬学の研究員。お父さんは東京出身の獣医、母方のお祖父ちゃんは四国から移民し、ブラジルで農家をやっている。お母さんはブラジル生まれの日本人だ。そういう家に育った関口さんに訊いてみたい。関口さん自身だけでなく、関口家には土地に対するこだわりが——。

「うん、たぶんないですね」

前回、桜庭実紀さんに訊いた、地域医療に貢献せよと「高校の進路面接とかでもけっこう言われる」という話が、こちらの頭の中にある。では高校生自身は、東北を、自分たちが暮らす町との関わり方をどう考えているのか。端的に言えば、そこに「地元愛」はあるのか。そのことが知りたい。関口さんには客観的視点があると思ってぜひ訊いてみたいのですが、「地元ラブ」という考え方は関口さんの中にありますか。

「地元は"like"ですね。"love"ではないです。客観的に見たら、そうだなあ、なんかちょっと、久慈のみんなの見る範囲が、ほんとうは”ここ”までいけるのに、”このくらい”しか見ていない——というかんじを、たまに受けたりしますね、交友関係とか見てると。もう小学校のころから。最近は、それも1つの考え方だなって思えてきたりしています。でも、自分がまず、自分が『どこの人』だって意識していないんですよ」

土地に対するこだわりはない、と関口さんは言った。その関口さんが行こうとする地はどういうところなのか。こう訊いてみよう。関口さん、薬学の研究員になったとしましょう。そのときどこに住んでいるのが、いちばんいいですか。

「その職場の近くで、都心よりちょっと田舎なほうが、わたし的にはいいですね」

都心と「ちょっと田舎」の境目は、どのあたりなんでしょうか。

「新幹線の駅があるかないか? いや、でも、二戸も新幹線の駅あるけど、駅しかないし……」

二戸は終点の新青森から3つ手前、岩手県最北の東北新幹線の駅だ。久慈からはJR八戸線で一旦八戸まで行き、そこから新幹線で南にひと駅、最短で2時間23分(2730円)。直通バスならば1時間10分(1500円)。駅周辺に全国のだれもが名前を知るような大きな商業施設はない。関口さん、何があると都市なんでしょう。先日、仙台に東北初のH&Mの店ができましたが、たとえばH&Mがあったら都市でしょうか。

「H&M! 都市です(笑)!」

ということは、県庁所在地の盛岡はH&Mがないから、都市ではない?

桜庭「あそこ城下町なんで。人口は八戸と同じくらいなんですけど、盛岡の方が都会に思えます。城下町かどうかって、けっこう重要です。八戸、港町なんで、やっぱ魚臭いんですよ(笑)」

関口「汚くはないんだけど」

桜庭「田舎臭さが抜けないっていうか。やっぱり盛岡は、城下町。なんか、タウンって感じ(笑)。八戸はシティだよね」

関口「でも、うちはタウンのほうが好きだからなあ」

関口さん、具体的に住んでみたい「タウン」はありますか。

関口「たぶん仕事をしているとなったら、東京までは行かないけど、千葉とか神奈川とか。都心は研究所とかってなさそうなので。でも、暑いところはちょっと。わたし、暑いと汗すごいんですよ。着込むのがけっこう好きなので、できれば、寒いところが」

小室「じゃ、久慈にいろ。東北いろよって(笑)」

3人の高校生は、互いの会話の中では男ことばを混ぜて使う。文字にすると突き放したような表現に見えるのだが、じっさいはそういうニュアンスはまったくない。「まあ、人それぞれだからね」といった関わりを回避するような言い回しも、ない。彼女たちは、友だちが話すことをしっかりと聞いたうえで、自分のことばを話す。そのことは念押ししておきたい。では、次に「久慈にいろ。東北いろよ」と言った小室さんに、彼女自身が歩もうとしている「ローカル・トラック」のことを訊こう。