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内閣総理大臣 安倍晋三(あべ・しんぞう)
1954年、東京都生まれ。成蹊大学法学部卒業後、神戸製鋼所勤務。その後父・安倍晋太郎元外相秘書を経て、93年衆議院議員初当選。党幹事長、官房長官を歴任後、2006年9月、内閣総理大臣に就任。07年9月に辞任。12年9月、自由民主党総裁。同年12月、内閣総理大臣に就任。


 

政権を放り出した男がまさかの復活だ。わずか6年前、病院で「基礎体力に限界を感じた」と弱々しく言い訳会見をした際の憔悴しきった姿が私の眼には焼きついている。

2006年9月に戦後最年少で内閣総理大臣に就任したが、相次ぐ閣僚辞任、消えた年金問題などで支持率は急降下。07年7月の参議院選挙で大敗し、9月12日、突然の辞任。誰もが政治生命は終わったと思ったが、本人は体調がもどると周囲に再登板への意欲を見せていたという。

その常識を超越した「おおらかな人柄」と「敵失」が大きな助けとなった。去年の総裁選は石破氏との決選投票。勝敗を分けたものは人物評。「石破さんは誰とも親しく付き合わない。誰にも愛想がいいのは安倍さん」との評判が決め手だった。そして野田前総理の自滅解散で前代未聞の返り咲きだ。

12月の衆議院選挙では発言も勇ましかった。尖閣問題では「公務員を常駐させて、中国人を上陸させない」という強気の発言でコアな勢力から喝采を浴びた。公約も国防軍創設、集団的自衛権容認などタカ派路線満載だ。体が弱いことへの反動なのか、とにかく強いイメージをアピールする。反論にはすぐむきになる。

どんなに強さを演出しようと、有権者は冷めていたようで、投票率は最低水準。安倍氏への期待値はけっして高くない。政権を獲得した途端に、再び批判される側に立つのは世の必定。それを察してか、選挙直後は「自民党に対する厳しい目はついてくる。責任は重い」と謙虚な姿勢も見せた。

挫折を経て「政治は結果が大事」ということを学んだそうだ。しかし、今のところ、「政権放棄」こそが最も印象に残る結果だ。世間の目は厳しいことを肝に銘じてほしい。

(PANA=写真)
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