「行かなくちゃと思って」

釜石の港に立つ伊澤久也さん。

岩手県立黒沢尻北高等学校2年生(理系クラス)の伊澤久也(いさわ・ひさや)さんに初めて会ったのは、彼が暮らす岩手県内陸部の北上市ではない。伊澤さんは電車で約3時間半かけて、三陸沿岸の釜石駅にひとりでやって来た。大槌での取材を終えて伊澤さんと合流し、大船渡、気仙沼、そして奥州市と一緒に移動した。内陸の高校生は、この2日の間に、沿岸の被災地を初めて自分の眼で直接見た。

「行かなくちゃと思って。一緒に行けば見えるものあるかなと思って。どうしようか迷った。電車で行っても、沿岸部の電車、走ってないし、釜石しか行けなくて。釜石だけ見ても……。どうしようかなと思って、堀田さんの Facebook につぶやいて。お願いすればどうにかなると思って、お願いしようと」

「堀田さん」とは、ソフトバンク復興支援室「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」担当者の堀田真代さんのこと。この連載取材行は、こちらが鉄道で行ける街まで入ったあとは、堀田さんが駆る車に乗せてもらい、取材地を移動している。そこに伊澤さんが同乗したというわけだ。

釜石で合流し、一緒に昼飯を食べ、大船渡へと向かった。「部活は何?」「……サッカー部です」。道中、訊けばきちんと答えてくれるのだが、口数はきわめて少ない。それでも気まずい思いは生じない。そういう雰囲気を醸し出す力が、伊澤さんにはある。

こちらが大船渡の6人にインタビューしている間、伊澤さんは1人で大船渡の街を見て歩いている。その夜、伊澤さんは大船渡の平士門さんの家に泊まった。あの無口な伊澤さんが、どうやって「泊めて」と言ってきたのか。平さんに訊くと、こんな返事が返ってきた。

《久也は仲良くなると普通に話します。久也からは普通に泊めてほしいと言われました。同じ色(注・「TOMODACHI~」で色別に分けられた班の意)の仲良い人だったので快くOKしました。久也とはその日お互い疲れていたのであまり話をせずに寝ました》

3週間の合州国を一緒に体験した300人は、岩手・宮城・福島の各地に友だちを持った。これは「TOMODACHI~」の大きな副産物だ。高校生が自身の通学範囲外を体感するには障壁が多い。1.移動のための足(カネ)がない。2.外泊の自由度が低い。3.そもそも学業が忙しい。そして、4.通学範囲の外に知り合いが少ない。被災三県のあちこちに友だちがいる今、4番目の障壁は消えている。

翌日は一緒に気仙沼へと向かった。気仙沼の3人にインタビューしている間、また伊澤さんは1人で気仙沼の街を見て歩いている。昼過ぎに気仙沼での取材を終え、北上高地を車で抜け、奥州市のファミリーレストランに辿り着いた。ここで2人の高校生と合流し、奥州市編のインタビューを始めた。

被災の現場を、三陸沿岸を、自分の眼で見なくてはいけないと考え、行動した伊澤さん。将来、何屋さんになりたいですか。