昔から断るのが下手だった。相手を一生懸命手助けした結果、無理が祟って災いと化すことが少なくなかった。東京・上野で毎年開かれる音楽祭の実行委員長を務めているが、ここへの個人出資を断っていれば、今頃は豪邸に住んでいたはずだ。今は年を重ね、断るのも少しはうまくなった。

断る際に大切なのは、「入り口」を厳しくすること。応援したいという思いが最初に言葉や態度に混じっては足元を見られることになる。頼む側はこちらの言葉を自分に都合のいいように解釈しがちだ。

出資の話は十中八九が相手にするまでもないレベル。ストレートに「事業になるわけがない」と告げればいい。就職の依頼の場合はもっと早い。相手に「出来が悪いからダメ」と言うのも手間なので、会わずに「もう締め切った」と連絡する。それを見越して早い時期に頼みに来る連中には、「権限がない」と言うことにしている。

「○○さんを紹介して」と頼まれた場合は、「仲介はするが、結果は知りませんよ」と正直に言う。○○さん側には「気にしないで、会うだけ会って」と伝えておく。救いは、「会ったけど、ダメだったと言っといて」とはっきり言う人が最近増えたことだ。取引先の中には、「他社より20%高い」と具体的に数値を入れた断りメールを送ってくるところもある。

今の会社を立ち上げるときは、金融機関に勤める友人たちに連日、出資を頼みにいった。しかし、当時は国内にインターネットのイの字もない時代。「何だ、それ? 」と首を傾げられ、断られ続けた。すでに上のほうの地位にいたにもかかわらず、出資に話が及ぶと急に能弁になり、わざとらしく話を逸らす者もいた。

それまで僕は頼まれ事は一切断らず、相手に一生懸命尽くしているつもりでいた。今度は頼む側として真剣に頭を下げているのに、彼らをバカヤロウとすら思った。

しかし、必死で逃げようとする友人たちを見て、はたと気付いた。頼みを引き受けるのは、美徳でも何でもない。断ることのほうが引き受けるよりずっと難しく、覚悟がいることなのだ。以来、断るときはきっぱり断ると決めた。

きちんと断れば、案外根には持たれない。変に期待を持たせることは、かえって友人や取引先を失うことになる。