企業運営の基本的なルールを定める会社法の改正作業が進められている。大王製紙、オリンパスの事件を受けて、会社統治の法的規制が強化されようとしているが、憂慮される点が2つあると筆者は説く。

会社法の改正作業が進められている。今回の改正の狙いと内容は、法務省のホームページの「会社法制の見直しに関する要綱案」に示されている。この改正がよりよい企業経営をもたらすかどうかという視点から要綱案を検討しよう。それを通じて、バブル崩壊以降行われてきた一連の会社法改革の問題点を理解していただけるだろう。

不祥事が起こるたびに会社統治の法的規制が強化されてきた。不祥事を起こすような企業は例外的存在である。このような例外的企業でも不祥事が起こらないようにするための規制はかなり強いものになりがちである。そのような強い規制を普通の企業に適用してしまうと、企業の経営を萎縮させてしまう危険がある。重篤な患者に処方する薬を普通の患者に処方するのと同じような問題が引き起こされる。今回も、大王製紙、オリンパスの事件を受けて、会社法が改正され、規制が強化されようとしている、私は、今回の改正によって、元気をなくしている日本企業がさらに元気をなくしてしまうのではないかと危惧している。

今回の改正では、社外取締役の選任の義務化が見送られた。東京証券取引所は、上場会社に独立役員の選任を義務づけている。独立役員とは、会社あるいはその利害関係集団と直接的な利害関係を持たない、それゆえに一般株主と利益相反が生じる恐れのない社外取締役あるいは社外監査役である。東京証券取引所は、上場会社に、少なくとも一人の独立役員を選任することを求めているが、このルールを法制化することは見送られたようである。これでは世界標準に合わないという声もあるが、これは、ガバナンスの構造という形だけを見た形式論である。社外取締役は、部外者としての客観的な立場から、企業経営を監視することができるというメリットはあるが、2つの深刻な限界を持っている。第一は、社内情勢についての情報が不足しがちであり、実質的な監視・監督が難しいという問題である。担当を持たない社内取締役に関しても同じような問題がある。決裁権限がないために情報が集まらないのである。第二は、よい仕事をしてもらうための報酬体系の設計が難しいという問題である。報酬が少ないと、真剣さを引き出すのが難しいが、逆に多すぎると、自分の地位を守るために、任命者におもねてしまうというリスクが出てくる。このような問題点を考えれば、社外取締役の任命の義務化を見送った法制審議会の勇気に敬意を払いたい。

今回の改正の中でとくに憂慮されるのは、次の2つである。1つは、「監査・監督委員会」という新しい監査制度がつくられたこと、もう1つは、親会社の株主が子会社の役員に対して代表訴訟を提起できるようになったことである。

監査・監督委員会の制度がつくられることによって、これまでの監査役会設置会社、委員会等設置会社と並んで、会社統治の基本構造に関して第三の選択肢が準備されるようになった。このような選択肢が新たに加えられた狙いは、監督機能の強化であるといわれている。この制度のエッセンスは、取締役、とくに社外取締役に監査をさせようとするところにある。言い換えれば、監査役に取締役と同等の権利を与えるところにある。このような制度がつくられたのは監査役の権限の不足が監査役制度の問題であるという認識があるからであろう。監査役会設置会社の監査役は取締役会に出席し、意見を表明する権限があるが、議決権はない。これでは、監査役の意見を取締役会の決定に反映させることは難しいだろうという認識である。しかし、他の取締役と同等の権限が与えられても、その影響力は限られている。それよりも、現在の監査役の牽制力のほうが大きい。現在の制度のもとで監査役会は、取締役に対して大きな牽制力を持っている。株主総会の招集通知に掲載される監査役会の監査報告の内容次第で、全取締役を解任できる可能性すらある。

また、日本の場合は、監査・監督担当者の権限を大きくすることがよいことかどうかにも疑問がある。監査役は、自動車でいえば、ブレーキの役割である。強力なエンジンがある場合にブレーキを強めるのはいいことだが、エンジンが弱い場合にブレーキを強化するのは良策ではない。日本の企業は従業員に長期雇用を約束し、取引相手に対しては長期購買・供給の責任を負っている。そのため、日本の企業はリスク回避的になりがちである。株主代表訴訟の制度が改められてから、このリスク回避の方向はますます強まっている。暴走しがちなアメリカ企業で採用されたのと同じような監督制度を文脈の違いを無視して日本企業に押し付けるのは、良策ではないと私は考える。