マッキンゼー新卒第1号

斎藤顯一(さいとう・けんいち)氏。 大阪出身。国際基督教大学卒。1975年、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社。87年に同社パートナー。89年、大阪支社副支社長。95年に同社を退社し、96年に株式会社フォアサイト・アンド・カンパニー創立、代表取締役に就任。2005年、ビジネスブレークスルー大学院大学教授就任。10年、ビジネスブレークスルー大学教授に就任。主著に新版『問題解決の実学』(2012年刊)、大前氏との共著に『実践!問題解決法』(2003年刊)がある。

私がマッキンゼーの面接試験を受けたのはICU(国際基督教大学)で学生をしていた1974年です。

当時のマッキンゼー東京事務所は開設して間もない頃で、メンバーはアメリカから連れてきた外国人と日本人のコンサルタントがほとんどでした。まだまだ日本では知名度は低く、採用は即戦力の中途採用が中心で、新卒を採って育てようという発想自体がなかった。

だから、私は新卒採用がない時代に新卒で採用された、記念すべき第一号ということになります。

なぜ新卒採用をしていないマッキンゼーの面接を受けることになったのかといえば、ICUの先生から「キミのような人間こそ、マッキンゼーに行くべきだ」と強く勧められたからです。白系ロシア人のアナトール・ゴルシコフという先生で、その人はICUで英語を教えながらマッキンゼーでパートタイムのエディターをしていたようで、「とにかく行って話を聞いてこい」というのです。

学生時代はそれほど成績が良かったわけではありませんが、多少目立った存在でした。大学3年のときには日本初のコミュニケーション学会をICUで開催することになり、事務局的な仕事を任されたこともあります。

プログラムの企画立案から、世界中から学者がやってくるということで通訳や宿の手配、旅行のスケジュール管理にアテンド業務まで、各国語ができる学生を集めて仕事を割り振りました。無事乗り切ったということで、学会が終わった後に、「名誉コミュニケーション学会員一年有効」みたいな称号をいただいた。

私は今でいうイベント屋みたいな学生でしたから(笑)、ゴルシコフ先生はその様子を見ていて、マッキンゼーを勧めてくれたのだと思います。

でも、こっちはマッキンゼーなんて全然知らない。「世界最大のコンサルティング会社」と聞かされていましたが、コンサルティングという仕事もよくわからない。それでも、せっかく勧めてくれたのだから行くだけ行ってみようということで、マッキンゼーの東京事務所で面接を受けました。

そこで初めて大前研一に出会ったのです。