いまやリストラは50代だけの話ではない。40代、30代にも矛先が向いている。ビジネスマン生活もハイリスクな時代を迎えた。どうしたら危機を突破していけるのか──。年代別にシナリオを描いていく。
東レ経営研究所特別顧問
佐々木常夫 

1944年生まれ。東京大学卒業後、東レに入社。2010年より現職。近著の『そうか、君は課長になったのか。』がベストセラーに。

佐々木常夫氏 私の人生観のど真ん中には「運命は積極的に引き受けよう!」という考え方があります。会社人生にしても、決して一本道ではありません。努力が実らないことだってある。業績不振の子会社へ出向させられるような、左遷的仕打ちを受けることだってあるでしょう。

しかし、それも運命です。前向きに捉えるなら「これは自分が試されているんだ」とも思える。愚痴をいわず、困難に立ち向かっていれば「あいつは大したやつだ」という評価につながり、復活することは十分可能です。あなたのことを、会社はじっと見ています。

私がそう断言できるのは、東レの取引先の一つで経営に行き詰まっていた繊維商社・一村産業への出向経験があるからです。1978年、33歳のときのことでした。メンバーは社長としていく取締役を筆頭に14人で、私は最年少。着任してみると、本当にひどい経営状態で「とても再建なんてできない」と頭を抱えたものです。

私はまず金沢の本社で管理部門の課長として、含み損の調査や経営課題を洗い出し、管理・予算制度を整備しました。とにかく、一刻の猶予もありません。土日も出勤し、残業時間は月に200時間を超えました。

仕事が一段落すると、よく一村産業の社員たちを居酒屋に誘ったものです。酒を飲んで、彼らの本音に耳を傾けました。給与やボーナスもカットされていましたから、酒代を支払わせるわけにはいきません。自腹を切っていたら、半年で酒代が100万円にもなってしまったほどです。

彼らは私たちの仕事ぶりをシビアに見ていたと思います。出向した私たちのうち、彼らから信頼を勝ち得た者と、離反された者は半々でした。その分かれ目は“志”だったと思います。私は、出向するからには「一村産業の再建は、自分のミッションだ!」と決めていました。そのことが彼らの心を掴んだのではないでしょうか。