前回(>>記事はこちら)に引き続き、一見「指南書」の体裁をとっている本を取り上げる。前回も話したことだが、「指南書」というのは定義からして特定の興味や関心を持った人に向けて書かれている。その関心領域から外れた人が読んでも面白くもなんともないのが普通である。僕の例でいえば、ゴルフをやらないのでゴルフの本はまったく読まないし、音楽をやるので音楽の本はわりと読むという次第である(ところで、僕は音楽を演奏するのもスキなのだが、聴くのもスキであり、音源だけでなく音響装置にもわりと関心がある。いわゆる「オーディオ」である。この方面はとりわけマニア濃度が高く、『ステレオサウンド』や『オーディオアクセサリー』といった専門誌を見ると、興味がない人にはほんとにもうどうでもいいことが延々と真剣に論じられている。これがバカバカしくも面白い。というか、ほとんど病気である。2本で500万円するスピーカーや1台で300万円するアンプなどは序の口で、1000万円近くするアンプの視聴記事で「これは素晴らしくいい音がする」とか書いてある。当たり前だ。この辺の常識から逸脱しまくりやがったところにツッコミを入れつつ読むのがこの手の本の醍醐味です)。

ダイエットに「飛び道具」なし

さて、岡田斗司夫氏の『レコーディング・ダイエット決定版』である。ダイエットに興味があるかと言われたら、ゴルフよりはあるけれども音楽よりはない、という微妙なところだ。僕は身長182センチで、体重77キロというギリギリ標準体型ではあるが(←嘘。実は80キロで、軽いデブ)、なにぶんハゲなので、デブ&ハゲのハーモニーだけは避けたいと祈念している。その意味で「本気でダイエットするところまではいっていないけれども、関心はわりとある」というのが僕のポジションだ。

楠木 建●一橋大学大学院 国際企業戦略研究科教授。1964年東京生まれ。1992年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。一橋大学商学部助教授および同イノベーション研究センター助教授などを経て、2010年より現職。専攻は競争戦略とイノベーション。日本語の著書に、『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)、『知識とイノベーション』(共著、東洋経済新報社)、監訳書に『イノベーション5つの原則』(カーティス・R・カールソン他著、ダイヤモンド社) などがある。©Takaharu Shibuya

ということで、何の気なしに読んでみたのだが、衝撃を受けた。そこで語られているのは極めて洗練された「ストーリーとしての戦略」であり、全編これ戦略づくりのお手本ともいえる内容になっているのである。さらに言えば、僕の妻は40キロあるかないかで、ダイエットは全く必要ない体型であるだけでなく、ちょっと目を離すと運動をしまくる人なのだが、僕の本棚にあったこの本を一読即絶賛していた。ダイエットにまったく興味のない人が読んでも面白いダイエット本、という稀有な一冊である。

本書が優れた戦略ストーリーのお手本になっている、とはどういうことか。小学校の理科の時間に、乾電池の直列と並列ということを習ったのを覚えているだろうか。世の中にあふれているダイエット本のほとんどは「並列」になっている。これは大切、あれも大切、これはやるべき、あれはダメ……というように、箇条書きのリストが延々とつづく。

さらに質の悪いダイエット本になると、箇条書きどころか「飛び道具」「必殺技」の一発モノになる。「この器具をつけて寝ているだけで…」とか「これを飲むだけで…」という類の話だ。成果が出ないのはいうまでもない。どこを探しても、一撃でダイエットが実現できるような飛び道具はないのである。これだけ多くの人が依然としてダイエットに関心を持っているということそれ自体が、その種の飛び道具が存在しないということの何よりの証明である。そんなに虫のいい必殺技があれば、ダイエットを必要とする人はとっくの昔にいなくなっているはずだ。

優れた戦略ストーリーはさまざまな要素が「直列」でつながっていなくてはならない。直列だからこそ豆電球の光が強くなるのである。筆者の提唱するレコーディング・ダイエットは、徹底して直列の戦略ストーリーになっている。やるべきことが箇条書きで並列されるのではなく、時間の流れのなかでしっかりとつながったストーリーになっている。だから読んでいるだけで面白いし、実際の効果の点でも画期的なダイエット本として多くの支持を集めている「レコーディング・ダイエット」が戦略ストーリーとして秀逸なゆえんを、いくつかのキーポイントに注目してみていこう。第1に、コンセプトがいい。戦略ストーリーのコンセプトとは、「ようするにあなたの戦略を一言でいうと?」という問いに対する答えである。その戦略ストーリーの本質を一言で凝縮して表現する言葉、それがコンセプトだ。

レコーディング・ダイエットのコンセプトは「太る努力をやめる」、この一言に尽きる。単純にして明快、しかも独創的。秀逸至極なコンセプトである。なぜ単純明快なのか。このコンセプトが「何ではないか」がはっきりしているからである。「太る努力をやめる」ということは「痩せる努力をするのではない」ということである。言葉の上では当たり前に聞こえるが、「痩せる努力をする」から「太る努力をしない」への転換、ここにレコーディング・ダイエットのコンセプトの独創性がある。これまで人々が良いと思って目指していた方向を所与として、その先に行こうという話ではない。そもそも拠って立つ次元が異なるのである。文字通りの新機軸であり、言葉の正確な意味でのイノベーションであるといえる。