「朝日新聞的戦後民主主義」の罠

現行憲法の問題は本連載でも何度か取り上げてきたが、今回はその憲法を変えるための具体的な手続きについて論じてみたい。

自民党・安倍晋三内閣時代の2007年、憲法改正の前提となる国民投票法(正式名称は「日本国憲法の改正手続に関する法律」)が成立した。自民党などからは憲法改正の準備委員会ができていろいろな試案が出てきているが、現行憲法を細かく1条ごと、チャプターごとに眺めて、「これをどう変えるか」という議論をしているようでは、話が前に進まない。

私はもともと、“憲法改正”には反対で、憲法をゼロからつくり直すべきとする「創憲(ゼロベース・コンスティチューション)」派である。20年以上前から、著書の『新・国富論』や『平成維新』(ともに講談社)の中で私が主張し続けてきたのは、日本人一人一人がアメリカ合衆国第3代の大統領で、「建国の父」の一人といわれるトーマス・ジェファーソンになったつもりで、「ゼロベースの憲法を自分で書いてみよ」、ということだ。

現代は、インターネットが発達したクラウドソーシングの時代である。例えば100人の有識者が書いた憲法を、項目別に整理して議論してもいいし、一般国民の100万人が書いたものをインターネットサイトのウィキペディア形式でまとめてもいい。海外の憲法がどういう項目を盛り込んでいるのか手分けをして調べてもいい。『平成維新』の中では5、6カ国調べたが今なら世界との関わりに関して、マスメディアやITの役割について、あるいは教育に関して斬新な発想が盛り込めるのではないだろうか。

現行憲法の問題点の一つとして、憲法の条文が、占領軍が“やっつけ”で作った英文を翻訳しただけにすぎず、意味不明な文章ばかりというものだ。例えば憲法前文の中にこういう一文がある。

「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」

私からみれば、この日本語では何を言っているのか全然わからない。日本人自らがつくった憲法であれば、主語は「我々」となるはずで、「国政」のような抽象名詞を主語に使うことはないはずだ。

「国民の信託がなければ国政はできない」と言いたいのかもしれないが、過去の経過からみても政府はほとんど厳粛な信託を受けておらず、日本は国政不在の国ということになる。そして、次にいきなり大上段からこうくるのだ。

「これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである」

憲法が人類普遍の原理に基づいているなら、改めて定義する必要がなく、イギリスのような「自然法」でいいではないか。こうした言い回しからは、占領軍が自らを権威づけながら、幼稚な日本人を教育してやろうという姿勢が見え隠れする。

「おい、日本人よ。古今東西、人類普遍の原理を教えてやるよ。主権在民だ。こんなもの世界の常識だぞ」と。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」

これもいかにも英語の訳文という文章で「人間相互の関係を支配する崇高な理想」と言われても意味不明である。

「諸国民の公正と信義に信頼して」というのも、日本語として聞きなれない。

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」

今どき、こんな国際社会がどこにあるのか。では、アフガニスタンやイラクでは、侵攻したアメリカが“一番名誉ある地位”を占めている現状をどう説明するのか。これも“遅れた国”に対して、“先進的な”思想を言い聞かせてやろうという態度が見え見えである。

「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して、他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国との対等関係に立たうとする国家の責務である」

この文章も主語と述語がバラバラで日本語として成り立っていない。憲法の精神を説き明かすために設けられた「前文」からしてこの有り様である。憲法全体の章立てから見ても「天皇」「戦争の放棄」「国民の権利及び義務」「国会」「内閣」「司法」「財政」「地方自治」の8項目と、「改正」「最高法規」「補則」という付録のような3項目で終わりである。憲法全体の構成が不明で、体系化されていないから、矛盾や不備が目立ち、不要な条文もあれば必要な項目が全く欠落している、という状況である。「朝日新聞的戦後民主主義」が一世を風靡した日本においては護憲派なる主張が主流を占めたが、この連中は果たして憲法を日本語で読んだことがあるのだろうか?

そして、最大の矛盾は、主権在民(「国民主権」)を謳いながらも、「象徴天皇」を第1章で扱っていることである。世界最長の天皇制は、自然法の中で2000年以上も続いてきたものだから、国家と国民の関係を定義する憲法においては、天皇についての内容は取り扱うべきではないというのが私の考えだ。