「商売」という仕事をしているすべての人に質問です。あなたの仕事は、あなたという存在は、省略され、中抜きされてしまうような〈水道管〉ですか? そうならないために、あなたの付加価値を手に入れるために、あなたは「触角」を伸ばしていますか? 「触角」を伸ばすために何をしていますか? もう「即効性」や「ハウツー」では解決できない高いレベルで自分の付加価値を高めようとしている人に、この本は効きます。日本のマーケティング研究の第一人者・石井淳蔵先生の最新作著者インタビュー、第二弾。

『マーケティング思考の可能性』
石井淳蔵著/岩波書店/本体価格3400円

>>前篇の「『マーケティング思考の可能性』とはどんな本か?」はこちらから

石井淳蔵(いしい・じゅんぞう)●1947年、大阪府生まれ。神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。神戸大学大学院経営学研究科教授などを経て、2008年4月より流通科学大学学長。専攻はマーケティング、流通システム論。『ブランド』『マーケティングの神話』など著書多数。「プレジデント」連載「経営持論」の執筆陣でもある。

マーケティングの仕事が断片化している

――前回は、相手の中に棲み込み、そこに自分の考えを持ち込むことで、オリジナリティが生まれるというお話を伺いました。それは本書の題名にもある「可能性」のことだと思うのです。仕事を面白くする可能性は、自分自身にある。それが商売本来の面白味でもある、と。
 一方で先生は、可能性と正反対のことを「あとがき」の中でこう書かれています。
《日本において、商業は、商品を右から左に転売するだけの水道管のような仕事だというイメージがなお残ってはいないだろうか。水道管なら、「短ければ短いほどよいし、なければもっとよい」となる。取引費用という概念を持ちだして商業現象を説明する経済学者なら、そう指摘するような気がする》
 インターネットが普及してから、こういった中抜き論はさらに盛んになりました。著者と読者が直接繋がるので編集者はいらない、ですとか(笑)。先生は続けてこう書かれています。
《商人たちが、その背後で、新市場開発や新業態開発のために、どれだけの創意工夫を発揮しているかにまで考慮が及ぶことはおそらくない。商業をそうした水道管として見る人の目は、そうでない人の目とそもそも違っている》
 先生は、商人は水道管ではない、自信を持っていい、世の中に存在する理由があるのだとおっしゃっているのだと思います。但し、なすべき事がある。それはたとえば、相手の中に棲み込んで考えるということだ、と。

石井 この前対談したNTTドコモの社長さんもおっしゃっていましたね。「通信キャリア土管論」。ソフトを作る会社からも、アップルのような端末機器メーカーからも、NTTドコモのような通信キャリアの会社は、「速くて安くて短ければいい」と言われてしまう。そこにドコモは「キャリアはキャリアとしての存在意義をもつ」と抵抗しておられる。これは戦いですよね。どっちが勝つなんて簡単なことは言えません。出版業界でも、書籍が電子化して、「編集者はいらない」という論理がどこかから出て来きそうです。しかし、それに対して、「いや、編集者は独自の価値を持つのだ」という理論がもうひとつ出て来るはずです。そうした切磋琢磨が新しい現実を創りだします。

――これは飛躍し過ぎかもしれませんけれど、自分が水道管だと思ってしまうと、毎年3万人の自殺者が出てしまうのかなと。先生がご覧になっていて、たとえばこの20年間、マーケティングの実務に携わるビジネスパーソンは、自分たちの存在に対する自信を持つことができているのでしょうか。

石井 「短い方が良い、なければもっと良い」と言われると、確かに自分が存在する意味がありません。少なくとも、自分は存在する意義があるのだということを、主張し続けないといけないのでしょうね。それができないと、自分自身を見失ってしまう。

それから、マーケティングの仕事に関してですが、断片化しているという印象がありますね。以前、『ビジネス・インサイト』を読まれた博報堂の人が持ってこられた問題意識が「断片化された仕事」だったんです。たとえば飲料メーカーの開発担当の研究員がいたとして、その人には年がら年中、事業部から「今度はこれを入れてあの飲料をつくれ」とか、「これに色を変えてあれをしろ」といった指示が飛んで来る。それを「納期はいついつまで」と日々その課題をこなしている。要するに自分の研究の力がスライスされて出荷されていくわけです(笑)。自分は何のためにこの研究所にいるのか、何をしたいと思ってこの仕事を選んだのかということを考えることがない、時間もない。

他方で企業は、消費者に対してはグループインタビューやデプスインタビューなど、時間をかけて彼らの思いを深く知ろうとします。同じように、自社の研究員に対しても、グループインタビューやデプスインタビューをやればいいのではないか、という意見が出てきました。「あなたは、この研究所に来て、何をやりたいと思っているのか」と聞く。こういうことはいきなり訊いても、相手も「えっ」とびっくりするだけだから、じっくり時間をかけて、「ほんとうは何がしたかったのか。そして、今は何か、これがしたいということがあるのか」と訊いたほうがいい、と。そこに、ビジネスの全体像につながるインサイト、彼らの心の中に埋もれてしまっているインサイトがきっと顔を出してくると思います。

そういう問題意識が出てくるところを見ると、現場ではマーケッターも研究者も開発担当者も経験や時間をスライスされているのではないかと思いますね。

――自分の能力を時間対価で切り売りしているだけだ、と。

石井 そうなると、次々来る課題に応えるだけで「ああ、一日終わった……」となってしまう。『ビジネス・インサイト』を読んで相談に来られたと言うことは――私はそこまで考えて書いたわけではないのだけれど……あの本には、そういうメッセージもありえたのかと、こちらのほうも気づかされたのですけれどね。

――そこは、本というものの面白いところですね。読者という「他者」が発生したことで、「こういう見方もあるのか」と。

石井 その通りだと思いますよ。