21世紀に入ってから静かな江戸ブームが続いている。2002年は江戸開府400年で盛り上がったし、江戸の面影をのこす歌舞伎座は09年1月から10年4月まで「さよなら公演」を行い、連日の大入り満員だった。08年には江戸東京博物館が15周年を迎え、来場者数は1000万人をはるかに超えた。

しかし、その江戸ブームのなかにあっても、日本人全体として「和本」を読む力、すなわち和本リテラシーが落ちていると著者は嘆く。和本リテラシーとは変体仮名と草書体漢字を読む力である。その和本リテラシーを持つ人は多く見積もっても5000人であろうと著者は推定している。

いっぽう明治以前に出版された和本の総数は少なくとも100万点。日本は世界的にも珍しい出版大国だったのだ。しかし、活字化されたものは1%程度。すなわち著者は残り99万点をたった5000人で読まなければならないことに危惧を訴える。しかも、その和本たるや街の古本屋でいまも単なる古本として扱われており、たとえ260年前の本であっても2000円以下で売られているほど簡単にアクセスできるのだ。

しかし、本書はその和本を読むためのノウハウを記したものではない。それ以前に和本とはいかなるものなのかを立体的に教授してくれる基本書である。第一章は江戸の出版事情だ。本屋の誕生から発展、幕府の出版条例、出版経費分析など、新書版であっても驚くほど詳細で、流麗洒脱な文体であるにもかかわらず、膨大な情報量を記述することができるという秀逸な例として読むことができる。

ところで、出版条例の基本法は徳川吉宗の「享保の改革」に遡ることができる。その内容は言論統制というよりも、版元の板権(版権)を公認したことに特徴があり、結果的に出版界は大盛況を呈したと著者はいう。第二章においても江戸の官権の姿勢は軍制や風俗に関すること以外は、思想性や文芸性を監視する趣はほとんどなかったというのだ。なるほど100万点もの出版物がいまに残るゆえんであろう。

もちろん、和本のつくり方、外型と名称、和本の分類などについても詳細を極める。実際に神田の古本屋で和本を一冊買ってきて、本書と照らし合わせながら「解析」してみるのも一興であろう。直観的に受け入れることができる絵画や音楽とちがい、読書は知識が必要であるがゆえに、現代文明とは別の文明に接するような感覚になるに違いない。

最終章は和本の海外事情だ。とりわけ著者は大英博物館とボストン美術館が所蔵する色刷り絵本の質と量を評価している。日本国内では20~30年かかっても果たしえない研究成果が、この両館に1年ずつ留学すれば達成できるであろうというのだ。

こちらも急速な西洋化の「負の遺産」である。