地球は青く子犬の血は赤かった

<strong>宇宙飛行士・ジャーナリスト 秋山豊寛</strong>●1942年生まれ。TBSでワシントン支局長などを歴任。著書に『鍬と宇宙船』(ランダムハウス講談社)など。
宇宙飛行士・ジャーナリスト 秋山豊寛●1942年生まれ。TBSでワシントン支局長などを歴任。著書に『鍬と宇宙船』(ランダムハウス講談社)など。

僕はいま、人生の「林住期」にいます。古代インドでは人生を4つに分けて考えました。若い頃の勉学に励む「学生期」、仕事や家庭を持ってからの「家住期」、50を過ぎてからは森林に住んで瞑想をする「林住期」、人生の最後は世俗を捨てての「遊行期」です。

53歳のときに勤めていたTBSを辞め、福島県は阿武隈山地で「農のある暮らし」に入りました。それまで報道記者という仕事に喜びややりがいを感じていた僕ですが、ある年齢になると、「これからは現場は若い者にまかせて管理職の仕事へ」となるのが、組織の常です。会社とはシステムのなかで役割を果たすことが求められる場。必ずしも自分のやりたいことを実現するための場ではない以上、それも仕方のないことです。ただ、そのなかでも「会社が求める自分」と「自己実現」をできる限り並存させることが大切です。僕にとって管理職は、「自己実現」とは程遠いところにありました。

「一回しかない人生」を考えたとき、いかに自分の好奇心を満たし、充実感溢れる生活を送れるか。それが退社をした理由のひとつです。

ジャーナリストとしての矜持もあったのかもしれません。僕は48歳のとき、テレビの記者として宇宙に行きました。「地球の美しい映像を届けることで、環境問題を考えるきっかけにしてほしい」と願ったためです。ところが、「環境は大切」というメッセージを発していた僕自身が、地球に戻ったら普通に日常生活を営んでいる。これではジャーナリストとしての言葉の重みや、人生の一貫性を考えたとき、「あまりに説得力がないだろう」と考えました。