孫子の教えで重要なのは「戦わずして勝つ」ことではない。「戦わずして負けない」ことだ――。上司と部下の問題に応用し、乱世に生き残る術を検証する。

世界最古の兵法書とされる『孫子』は、多くの経営者が座右に備えて、自らの経営戦略や戦術に読み換えてきた。しかし、孫子は、人間を深く洞察し、その心理を巧みに利用することで、極力戦いを避けながら勝利する要諦をこそ説いている。

職場には、疎ましい存在で悩みの種となったり、あるいは足を引っ張ったりと、さまざまに手を焼かされる上司がいる。そこで、孫子を、部下の立場から、困った上司への対処法として応用してみる。

最も有名なのは、この一節であろう。

彼を知り、己を知れば、百戦して殆うからず

戦いのためには、相手と己それぞれの力量をよく知るべしということなのだが、当然、「彼」を「上司」と置き換える。

中国古典研究家の守屋淳氏は指摘する。

「あくまでも『殆うからず』なのであって、『勝つ』とは書いていません。ここを『負けない』と読み換えれば、職場での上司と部下の関係にも応用できるといえる。要は、戦わなければいいわけです」

守屋氏が「まさしく上司と部下の関係そのものを語っているようなところがある」として挙げるのは、次の一節である。

百戦百勝は善の善なるものに非ず。
戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり

百戦百勝は最善ではない。戦わずに敵を降服させることこそ最善である――。

守屋氏は、こう読み解いた。

「つまり、戦わずに仲良くする。ないしは、どちらかが主導権を握った形で関係を維持していく。それがベストという考え方です。こういう言葉もあります」

必ず全きを以って天下に争う

相手を痛めつけず、無傷のまま味方に引き入れて、天下に覇を唱える――。

「これが実現できれば、先に述べたように、いちばん理想的に『戦わずして人の兵を屈する』最高の状況になるわけです」

だが、そう理想どおりにはいかないのが世の常である。そこで、無責任で無自覚の「やる気なし上司」を仮想敵にして考えたい。管理職でありながら、部下の管理も指導もできない。最低限の仕事しかこなさず、残業を嫌って定時退社を好む。こういう手合いの上司の下にいると、部下まで巻き添えを食って昇進が遅れたり、出世の道を閉ざされたりしかねない。

守屋 淳●中国古典研究家

1965年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。大手書店勤務を経て、現在、中国文学の翻訳・著述家として活躍。『孫子・戦略・クラウゼヴィッツ』『最強の孫子』『活かす論語』『孫子とビジネス戦略』『逃げる「孫子」』『中国古典の名言録(共著)』など著書多数。
(的野弘路、増田安寿=撮影)