目指すべきは「小さな池の大きな魚」

では、キャズムを乗り越えるためには、どのような手立てがあるのか。ムーアはこれをマーケティング学者セオドア・レビットの「ホールプロダクト」という概念を用いて説明している。ホールプロダクトとは、顧客が目的を達成するために必要な一連の製品やサービスである。

例えばPCをワープロとして使いたい人はPC本体を購入しただけでは不十分で、モニターや文書作成ソフトが揃ってはじめて目的を達成できる。

こうした顧客の目的達成に必要なものが全部揃った商品がホールプロダクトであり、そういうものにしていかないとハイテク製品は売れないとムーアは説いている。

ムーアは「ホールプロダクト」についても、電子ブックを例に挙げて説明している。

2009年4~6月期決算説明会にて、孫正義社長は「3年後、携帯電話はiPhoneのようなものに取って代わる」と予言した。

2009年4~6月期決算説明会にて、孫正義社長は「3年後、携帯電話はiPhoneのようなものに取って代わる」と予言した。

いきなり電子ブックを販売しようとしても、多くの人にとっては「何、これ?」というものでしかない。そこでターゲット顧客を航空整備士に絞り、改訂を随時行える業務マニュアルとして販売したらどうか。

だが、それでは市場に浸透することはできないとムーアは言う。整備士が空港でどのような業務を行っているのかを深く理解し、業務の中に定着するよう誘導しなければダメなのだ、と。

例えば整備士が機体の中に入り込んでいくとき、果たして電子ブックをどこから取り出し、どのような体勢で使用するのか。あるいは直前に発生した機材の故障データはリアルタイムで更新できるのか等々、現場で使用する整備士の身になってよく考え、実際に業務で使える形にまで商品の完成度を上げないと売れないというのである。

ホールプロダクトをつくろうとすると、「航空機の整備士」のようにマーケットは限定されてしまう。だが、小さな池の大きな魚になることが大切であって、大きな池の小さな魚になってはどうしようもない。

これは経営学者デレック・F・エイベルの「事業定義」ともつながる話であろう。すなわち誰に対して、どういう価値を、どのような技術を用いて提供するかを明確にすることが重要、ということだ。これはハイテク製品に限らない。

例えば、小学校低学年の子供を持つ家族にターゲットを定め、そのためのメニューや設備、サービスを徹底させたファミリーレストランは、1兆円規模のマーケットをつくり出した。

幅広い年代層の中から、結婚して10年以内の家族という薄い層へ絞りに絞り込んだからこそ価値が明確になり、他の顧客層にも「それなら私も行ってみよう」と思わせ、マーケットが拡大していったのである。

ハイテク製品では技術的なイノベーションが重視されがちだ。しかしビジネスの成功にはそれだけでなく、マーケティングのイノベーションにも取り組まなければならないのである。

※すべて雑誌掲載当時

(構成=宮内 健)