脱サラ農家、危険な介護職、まだまだ安泰な弁護士……混迷する日本でも通用する仕事のカタチを徹底ルポで大検証!
<strong>衆議院議員 田中美絵子</strong>●1975年12月16日生まれ。石川県金沢市出身。明治大学政治経済学部卒業。会社員、ツアーコンダクター(国内添乗員)、国会議員秘書を経て、現職。厚生労働委員会所属。
衆議院議員 田中美絵子●1975年12月16日生まれ。石川県金沢市出身。明治大学政治経済学部卒業。会社員、ツアーコンダクター(国内添乗員)、国会議員秘書を経て、現職。厚生労働委員会所属。

「私はもともとツアーコンダクターの派遣社員をしていました。ツアーコンダクター業界の9割は派遣で、保険とか手当もないし、朝から深夜まで働いて日給7000円程度しか頂くことができませんでした。だからこそ、30代の私が若者の代弁者として、若者が結婚し、子どもを産めて、将来に希望が持てる当たり前の社会を取り戻す。今の状況を変えていきたいのです」

小沢ガールズとして有名になった田中美絵子・衆議院議員(民主党・比例北陸信越ブロック選出)は自らが国会議員になった決意をこのように語った。田中議員の選挙区は石川県で、国会と地元を往復する金帰火来の日々を過ごしながら厳しい地方の現状を目の当たりにしてきた。

「地元のハローワークは1時間待ちの状況もあると聞いています。石川県は製造業が盛んなのですが、2~3年前から不況の影響を受けて派遣切りが大量に行われました。正社員も仲間が減っていくことに不安を覚えているようです。労働組合からも相談がきていますね」

民間が厳しい状況に陥っている中で、国会議員としての2900万円近い多額の報酬はどこに消えているのだろうか。

「3年後の総選挙を見据えて、貯金をしてます。そのほか頂いたお金は、事務所の運営費、私設秘書の給与、車のリース代などに使用しています。一晩に3件の会食を続けなくてはならないなど、付き合いにともなう出費が非常に多いのです。とりわけ一番頭が痛かったのは、弔電です。他の政治家がみな、選挙区内でお亡くなりになられた方全員に弔電を出す以上、こちらもやめるわけにはいかず、月額60万円にものぼっていました。そこで、私は、事務所内でも『事業仕分け』を実施。弔電を手づくりにして直接秘書が持参することにしたのです。これで数十万円が浮きました。秘書が行くことで地方の方との交流も生まれます。今後は、秘書の数もなるべく増やさず、少数精鋭で頑張りたい」

また、田中議員は国会議員になったからといって庶民の生活感覚を忘れないという。

「国道沿いにファミリーレストランが一杯あります。ガストやジョイフルとかね。変装などはせずに600円の和定食を食べにいきます。私にとっては普通のつもりなのですが『国会議員がファミレスに来るとは思わなかった、ファンになった』といってもらえるので驚きです。私はまだ料亭には行ったことがありません。小沢グループの集まりは、いつも赤坂の『日本海庄や』です。小沢先生が『庄や』が好きだからというのが理由ですが、庶民的なお店ですよね」

田中議員は夜の会合が終わってからの遅い夕食は自宅の最寄りのコンビニエンスストアで調達する。「2LDKの自宅でコンビニ弁当を食べる」「愛用している化粧品は、OL御用達のアルビオンのスキンコンディショナー」……。それが今どきの国会議員の姿なのかもしれない。