これはもう捨てては置けないと、今の状況に心を痛め、療養中の体に鞭打って声を上げる。日本に笑顔を取り戻すために。

私は原発の資金で建てられた、敦賀にある女子短大の学長を務めたことがあります。そのとき、原発を見せてくださいとお願いしたら、関係者が一様に嫌がりました。話をつけてなんとか見にいったのですが、中がお粗末なつくりであることに驚き、案内人が仕組みを説明できないことに不安を感じました。今回の震災も関係者の会見を見ていて、同じ気持ちになります。普段使わない専門用語で「大丈夫」と言われても素直に頷けないし、言ってることがどんどん変わってくるので、何かを隠しているように見えてしまう。

原発は風向きひとつ変われば、放射線が東京にも届きます。特に心配なのが子供です。私が生活している京都の「寂庵」にも、東京から逃げてきて「泊めてくれないか」という家族が何組も訪れました。赤ん坊を抱いたり、小さい子を連れたりしている彼らに「住むところはあるの?」と聞いたら、「ないけれどじっとしていられないから、とにかく逃げてきた」と言います。

われわれ人間は、これまでおごりすぎていたのかもしれません。ものごとをよりよくするためと言って、人智を尽くしたつもりでした。でも知識や科学の力に頼りすぎました。だから原発だって本来は恐ろしい存在のはずなのに、感覚が麻痺して当たり前のように恩恵にあずかっていたのです。

日本は戦争に負けたとき、今の被災地のように何もかも失いました。しかし次第に失ったものを得たい気持ちが湧いてくるもので、住むところを求め、家を確保したら、今度は着るものが欲しくなります。そして衣服が揃うともっといいものを――とだんだん欲望が募っていく。結果、昔以上の生活をするようになった日本人は、目に見えるモノやお金などばかりに心が向いてしまいました。そのことを今、反省する機会が与えられたようにも思います。

本当は、目に見えないものが人間にとって一番大切なのです。心、神、仏……。この目に見えないものによって世の中は動かされているから、地球と太陽がぶつからないし、私たちは生きていくことができる。改めて、目に見えないものに畏れを持たなければいけないと、自戒をこめて思います。

今は、原点に返って考えるべきときなのかもしれません。原発の構造がどうなっているのか、どうして必要なのか、代わるものはほかにないのか、よその国はどうしているのか――。次の時代を築く子供たちがしっかりと生きていくためには、改めて大人たちが勉強し直す必要があるのではないでしょうか。

避難所の子供ばかりをグラビアで取り上げた週刊誌がありました。子供って無邪気ですから、そんな悲惨な中にいても笑顔がある。やっぱり子供が頼り。未来を背負うのはこの子たちです。子供が無事に育っていって、しっかり勉強ができる世の中を今の私たちは残していかなければならない。それはわれわれ大人の義務でしょうね。

(構成=鈴木 工 撮影=若杉憲司)