東郷、秋山真之に思いをはせ、江田島に

「(江田島は)広島湾の東はしに浮かび、呉湾からいえば西側に位置している。小島とはいえ、能美島という別な島とほそい地頸でつながっている」(『坂の上の雲』文春文庫 第一巻)

松山から広島へはフェリーもしくは高速船で行くのがいい。瀬戸内海の微風を頬に感じながら甲板に立つのは気持ちのいいものだから……。

フェリーが行く水路の一部は明治38(1905)年5月、日本海海戦に向かう日本の連合艦隊が向かった道だろう。平均水深38メートルの瀬戸内海を通って、提督東郷平八郎、参謀秋山真之はロシアとの海戦に出陣したのである。

広島から江田島へは陸路もあるが、フェリーのほうが早い。宇品港から40分で江田島に着き、そこから車で20分も行けば旧海軍兵学校の跡地だ。現在は海上自衛隊の第一術科学校と幹部候補生学校になっている。観光地ではないが、入り口で「見学希望」と申し出て、住所氏名を書けば誰でも入ることができる。見学ツアーは平日3回、休日は4回となっていて、料金は無料。案内は自衛隊の広報担当者だ。ツアーの時間は1時間30分。50分ほどは教育参考館という日本海軍の資料や絵画などの展示館に費やされるから、学校の内部を歩き回るのは30分くらいのものである。

旧海軍兵学校の構内は広々としている。電線はすべて地下に埋設されており、開放感を感じる。手入れされた芝生の上には赤レンガのクラシックな建物が点在し、南欧のリゾートに来たようだ。構内には砲弾や特殊潜航艇のような昔の武器が置かれているのだが、まがまがしい雰囲気ではない。空は高く、芝生は緑で、のどかな場所なのだ。

そして、平和な気分が実感できる要素がもうひとつある。それは見学者だ。私は全国から軍事マニアや海軍ファンが集まってくるんじゃないかと勝手に想像していたのだけれど、そんなことはなかった。見学に来た人々は浅草の浅草寺や東京ディズニーランドで遊ぶ人々となんら変わらない。まったくの善男善女が自衛隊員の説明をのんびりと聞いているのである。

第一術科学校の幹部候補生学校庁舎(旧海軍兵学校生徒館、通称赤レンガ)。古い歴史を誇り、人々を魅了し続ける(右)。構内を案内してくれる海上自衛隊の女性自衛官。慎ましくも誇り高い姿にファンになる見学者もいるようだ(左)。

第一術科学校の幹部候補生学校庁舎(旧海軍兵学校生徒館、通称赤レンガ)。古い歴史を誇り、人々を魅了し続ける(右)。構内を案内してくれる海上自衛隊の女性自衛官。慎ましくも誇り高い姿にファンになる見学者もいるようだ(左)。


 私が一緒だったグループにはペアルックを着たカップルがいて、ふたりは戦艦大和の主砲砲弾を眺めながら、肩を寄せ、しっかりと手を握っていた。そして主砲砲弾を背景に記念撮影をしていた。カップルは実に幸せそうで、無邪気に笑っていた。

平成の日本においては日露戦争どころか戦艦大和が主役の太平洋戦争でさえ、はるか昔の話なのだ。海軍兵学校の敷地内には東郷平八郎の遺髪、歴代将官の書や手紙、戦艦陸奥の主砲といった日本海軍の栄光を象徴する展示物が数多く置かれているのだが、ファナティックな感情をあらわにして眺めている人物はひとりもいなかった。そこは右翼や軍事マニアのメッカではなく、昔の武器が置かれた観光地だ。そして、観光地に来る人々は無邪気であり、さらに言えば成熟しているとも言える。

日本の普通の人々は海軍や戦艦を憧れを持って見つめてはいない。

(岡倉禎志=撮影)