「国民作家」司馬遼太郎──。彼の手によって描かれた魅力的な群像。激動期を生き抜いたさまざまな「彼」の物語、「もう一つの日本」の物語から、混迷の現代を生きる我々は何を学ぶべきか。司馬文学研究の第一人者が語る。

司馬さんは人の心の中にあるロマン主義とリアリズムの両方を描きましたが、どちらかといえば、「現実をあるがままに見よ」という合理的精神を持ったリアリストを好んで書いています。

まず思い浮かぶのは、『竜馬がゆく』の坂本竜馬でしょう。江戸時代の日本は徳川幕府が決めたことを各藩に伝え、各藩の殿さまは家老に伝え、さらに家老は藩士に、という上意下達の幕藩体制と、門閥制度(いまの言葉で世襲制)で支えられていました。これが250年間うまくいっていたのですが、ヨーロッパの国々がアジアに進出して植民地化する時代になると、かえって弊害が目立つようになります。縦割りですから、薩摩藩とイギリスが戦争しても、他の藩はどこも助けにいかない。武士が戦争していても、庶民は関係ない。こうした現状を見て、これでは日本は滅ぶ、縦割り体制を超えて横でつながり、統一した国家をつくらなければいけないと合理的に発想した一人が、坂本竜馬です。

竜馬は統一国家を実現するため、薩長同盟を作成したり、新しい国家の具体的な構想を「船中八策」として提案するなど奔走します。また、自身は貿易商社の亀山社中(海援隊の前身)をつくって、鉄砲や砂糖を買い付けて各藩に売りました。このように幕藩体制に縛られずに合理的精神で飛び回る竜馬を司馬さんは好み、『竜馬がゆく』を書いたのです。

この作品が世間に与えた影響は大きかった。『竜馬がゆく』の連載が始まったのは、1962年です。60年代まで、日本人にとっての政治家の理想像といえば、西郷隆盛でした。西郷は維新三傑のトップで、リアリズムとは対極にいる革命的ロマン主義者、永久革命家といってもいい。一方、坂本竜馬は三傑にも入っておらず、ランクでいえばずっと下です。ところが、司馬さんが『竜馬がゆく』を発表して、一気に竜馬ファンが増えた。政治家では小渕恵三さんや小泉純一郎さんも竜馬を理想の人物としてあげているし、経営者にも竜馬を好きな人は多い。

興味深いのは、竜馬を好むのは男性だけではないことです。私が教鞭をとっている経済学部で、女子学生の数が男子学生を上回ったのはバブルの終わりごろです。彼女たちの愛読書も『竜馬がゆく』でした。最初は、竜馬の妻であるおりょうという活発な女性にあこがれたのかと思いました。ところが、話をよく聞いてみると、「一人で輸入雑貨の店をやりたい。だから世界を相手に貿易した坂本竜馬が好き」という。男性の企業社会の理不尽さを感じていた彼女たちにとって、幕藩体制にとらわれずに一人で活躍した合理的精神の竜馬は、男性が感じる以上に魅力的に映ったのでしょう。

(構成=村上 敬 撮影=市来朋久、宇佐見利明)