ドイツ装甲部隊の父、そして「電撃戦」の生みの親と呼ばれる、ナチス・ドイツの将軍がいる。現代史家の大木毅氏は「『戦車将軍グデーリアン』の自叙伝を鵜呑みにしてはいけない。事実とは異なるところがある」という。彼自身の作りあげた虚像とは――。

※本稿は、大木毅『戦車将軍グデーリアン「電撃戦」を演出した男』(角川新書)の一部を再編集したものです。

戦争
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ナチス・ドイツを支えた「戦車将軍」のセルフ・イメージ

第2次世界大戦におけるドイツ国防軍は、その能力のほとんどが作戦・戦術次元にとどまっていたとはいえ、優れた指揮官を輩出した。北アフリカで縦横無尽の活躍をみせ、「砂漠の狐」の異名を取ったエルヴィン・ロンメル元帥などは、典型的な実例であろう。

この、ドイツ軍のスーパースターであるロンメルにはかなわないまでも、ハインツ・グデーリアン上級大将(ドイツ軍には、元帥と大将のあいだに「上級大将」という階級がある)といえば、少なからぬ人が、聞いたことがあるとうなずくはずだ。

ハインツ・グデーリアン
ハインツ・グデーリアン=1941年1月1日(写真=ullstein bild/時事通信フォト)

自ら育て上げたドイツ装甲部隊を率いて東西に転戦、大戦果を挙げた「電撃戦」の立役者にして、ソ連侵攻「バルバロッサ」作戦の先鋒。のちには、装甲兵総監や参謀総長代理として、敗勢にあるナチス・ドイツを支えた「戦車将軍」というあたりが、その最大公約数的イメージであろう。

かかるグデーリアン像は、100パーセント間違いというわけではない。しかしながら、過去四半世紀の軍事史研究の進展は、彼の実態をしだいにあきらかにしつつある。

結局のところ、ここで示したような姿は、グデーリアン本人が広めたセルフ・イメージにほかならず、ロンメルや「ドイツ国防軍最高の頭脳」エーリヒ・フォン・マンシュタインの場合同様、多くの誇張や虚偽が混じり込んでいるのである。