豊臣秀吉(1537~1598)
農民の子として生まれ、天下人にまで上り詰めた成り上がりの人生は、生きる知恵の泉でもある。

人心の掌握術に長け、よく観察、分析した「人たらし」の名人

社名の「千房」は大坂城を築いた豊臣秀吉の馬印からとったもので、房になった「千成瓢箪」を意味しています。

豊臣秀吉は農民出身でありながら織田信長の後を継ぎ天下統一を果たした人ですが、普通の武将のように戦場で敵を討ち取り手柄を立てて出世したわけではありません。大変苦労しながら生き抜き、さまざまな実力者の協力を得て、また竹中半兵衛など優秀な人材を雇用して織田家の中で有力者になった人物です。上手に「人」を動かして自らが出世していきます。秀吉は戦国時代には珍しく「人望」があり「知謀」に長けた武将ではないでしょうか。

よく語られるのは草履を懐に入れて温め、信長に目をかけられるようになったエピソードですが、こういう行いは1度だけではなく、ずっと続けることで大きな信用が生まれてきます。継続は知識の有無ではなく1つの能力であり、大きな力をもたらしてくれます。家が貧しかった私は中学卒業と同時に乾物のお店に丁稚奉公に出されました。学歴はなく、能力のない私には誰でもできることしかやれません。そこで誰にでもできることで人が続けないことを心がけてきました。例えば、社員の給料袋に毎月毛筆のメッセージを同封しています。誰でもできる些細なことですが、今年で33年続けてきたところ、会社は大きく発展しました。