日本IBMをリストラされた後、起業家やアーティストとして幅広く活躍する勝屋久氏。勝屋氏は、「かつてはお金のために働いていた。しかし、そうやって自分の時間を切り売りしている苦しくなる。自分の人生をどう生きるかについて、どこかで深く考えたほうがいい」という――。

※本稿は、勝屋久『人生の目的の見つけ方 自分と真剣に向き合って学んだ「倖せの法則」』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

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お金のために働いていた過去の自分

仕事という言葉を普段から何気なく使っていると思うが、僕は会社員時代、40歳くらいまでは仕事を労働と捉えていた。給与を得るために知力と体力を使い、働いていたわけだ。何のために働いていたのか? 一言で言うと、お金のために働いていた。

もちろん、やりがいという気持ちもなかったわけではないが、今考えれば、すごく曖昧だった。社会貢献だったのか? 自分の成長のためだったのか? 曖昧すぎるくらい曖昧だった。それはそうだ。自分の人生について深く考えてこなかったのだから、仕事のことがはっきりしているわけがない。

稼いだお金で家族を養ったり、住宅ローンを返済したり、自分の好きなものを買ったり。家族と自分のために働いていると思っていたが、心のどこかでは、働かされているような気がしていた。自分の時間の切り売りだったと思う。