マスメディアに登場することは一切なかった、知る人ぞ知る伝説のコンサルタントがいた。5000社を超える企業を指導し、多くの倒産寸前の企業を再建した、一倉定氏だ。真剣に激しく経営者を叱り飛ばす姿から、「社長の教祖」「炎のコンサルタント」との異名を持った。なぜ一倉氏は怒り続けたのか――。

※本稿は、作間信司『一倉定の社長学』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

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温泉に行くより、家で原稿を書きたい

一倉定先生には、冗談が通じなかった。真っすぐな性格で、社長教育一筋、仕事一筋で贅沢な遊びも全くなかった。仕事以外といえば、ゴルフが唯一の楽しみくらいだったと思う。あるとき「先生、そんなに仕事ばかりしてないで箱根でも行って温泉でゆっくりされたら」と言ったことがある。晩年の頃だ。

先生の答えが面白かった。「冗談じゃない。あんな所へ行ったら、サービスの悪さが気になって文句言いたくなる」「ちっとも休みになんかなるか!」「家で原稿でも書いているほうがよっぽどいい」と。

30年以上前になると思うが、経営計画の合宿をバンクーバーで行い、その帰りの飛行機で先生の隣に座らされた。先生がお酒でも飲んで寝てくれたら、私も寝れると考え勧めたが、原稿用紙を取り出し執筆を始めてしまった。成田まで遠かった。何事も真正面から向きあうから、冗談が理解できないのかもしれない。

こんなこともあった。済州島で合宿をやっていたとき、ホテルのプールサイドでパーティーを開くことになった。ちょうど中間の休日でお昼である。酒の勢いもあって、社長たちが仲間をプールに投げ飛ばし始めたのである。他のお客さんたちも見ていて大笑いになったが、そのうち社長連中が冗談で「先生も落としてしまえ」とひそひそ話を始めたのが耳に入って大剣幕。

その場でこっぴどく叱られた。誰も本気でやろうなんて思ってもいないが、先生だけは大真面目。全て直球勝負なのである。後で、皆でさらに大笑いになった。なんでもそうかもしれないが、策を弄することなく、表裏なく、信念をもって大真面目にやる人は人から愛される。