「ロン・ヤス関係」を駆使して日米関係を改善した

戦後政治を構築した中曽根康弘元首相が11月29日、101歳で亡くなった。

国鉄の分割民営化や電電公社民営化など聖域のない行財政改革を断行し、アメリカのロナルド・レーガン元大統領とは“ロン・ヤス関係”を築き上げ、冷え込みつつあった日本とアメリカの関係を改善した。首相引退後も自らの理想とする安全保障の在り方と憲法改正の問題に取り組んだ。保守革新を問わず、中曽根氏を慕う政治家は多い。

写真=時事通信フォト
中曽根康弘首相(左)と握手するレーガン米大統領=1983年11月9日、東京

在任日数は1806日、戦後5番目の長期政権を築くが…

中曽根氏は1918(大正7)年5月、群馬県高崎市に生まれた。東大法学部を卒業後、1941年に旧内務省に入省。1947(昭和22)年4月の衆院選で旧群馬3区から立候補して初当選した。28歳だった。その後当選は、連続20回を記録した。

初めての入閣は1959年の第2次岸信介改造内閣の科学技術庁長官だった。さらに運輸相、防衛長官、通商産業相、行政管理庁長官などを歴任し、三木内閣では自民党幹事長を務めた。1982年11月、鈴木善幸首相の退陣表明を受けた党総裁予備選で圧勝して第71代首相に就任した。

自民党総裁の任期切れで、1987(昭和62)年11月に退陣したが、在任日数は1806日に及び、戦後5番目の長期政権を築いた。1997年には最高位の勲章、大勲位菊花大綬章を受章している。