敗戦から13年がたった1958年。富士重工(現SUBARU)は、後のベストセラーとなる「スバル360」を世に出した。大型車でも登れない急坂も難なく走る軽自動車には、元飛行機会社ならではの技術が込められていた——。(第6回)
写真=時事通信フォト
スバル360(2010年9月23日、群馬県太田市のスバルビジターセンター)

政府の援助も受けずベストセラーカーに

「乗員は大人ふたり、子どもふたり。最高時速一〇〇キロ、重量四〇〇キログラム以下。価格二五万円以下」

1958年に発売され、“てんとう虫”の愛称で親しまれた「スバル360」(提供=SUBARU)

政府は自動車産業の育成と国民に自家用車を提供するために、「安くて小さいけれど、性能のいい車」を作るよう、各メーカーに要請したのである。そして、トヨタ、日産をはじめとするメーカーに競争試作させて、「最終的に一車種に絞り、国民車として生産・普及の援助を与える」とした。

ただ、最終的には一車種に絞ることにはならなかった。結局のところ、上記の基準をクリアできたのは排気量の小さな軽自動車だけで、そのなかでもスバル360があっという間にベストセラーカーになってしまったので、役所が育成や援助をする時間はなかった。