著者の松元崇さんと初めてお目にかかったのは、25年ほど前だろうか。俊秀ぞろいの大蔵省(現財務省)にあっても、その頭脳は当時から異彩を放っていたようだ。現職は内閣府大臣官房長である。

本書は、緊縮財政を実施して軍事費の増大を抑えていた高橋是清が、2・26事件で暗殺された以後の話である。繁栄していたわが国が、経済原理を理解しない軍部の独走によって破壊しつくされるまでを描いている。

それは、軍部の圧力に屈し、「軍事公債は生産的である」と、陸海軍予算の大幅増を認めた馬場蔵相に始まった。盧溝橋事件以降、止めどなく発行される軍事公債で財政を逼迫させることで国家が破綻していく過程を、財政の対応ぶりから解いていく。

明治維新を経て、日清、日露という戦争を遂行するには、財政面からもありえない状況。難局を切り抜けて発展を続けられたのは、いうまでもなく海外の資本市場からの資金調達があった。それを可能にしたのは、国際金融市場での信用をつくりあげた高橋是清をはじめとする金融・財政に携わった人々であることは間違いない。国の政策基盤として「財政規律」を守ることが、考え方の基本にあった。

昨今、財政規律という言葉が頻繁にメディアに登場し、一般の人々の関心を集めるようになったのは、わが国の莫大な債務が危機的状況として顕在化してからだろうか。IMFの統計によれば、日本の公的債務は2014年にはGDP比で245.6%と想定されている。危機にあるギリシャをはるかに凌駕するに至り、さすがに大衆迎合的なばら撒きを疑問視せざるをえなくなってきたのだろう。

『高橋是清 暗殺後の日本』松元 崇著 大蔵財務協会 本体価格 1714円+税

近代国家においては、財政と金融に無知な指導層が国を動かし始めた途端、危機的状況になるか破綻への道を歩み始める。このことは歴史を紐解くだけで無数の例があり、中でももっとも愚挙としか言いようのない事態を招いたのが、太平洋戦争に至る日本の2・26事件以後から敗戦までの経緯かもしれない。

「明治維新」と「昭和維新」の違いは、明治維新の指導者の多くが徳川幕藩体制下において行政官として期待された「文官」の面を持つ武士だったのに対し、昭和維新の指導者の多くは「武官」の面しか持たない軍人だったという著者の指摘があるが、今の日本の状況を考えると、軍人の代わりに、「ポピュリズムに堕す指導層」に対する不安と書きたくなってしまう。

ともあれ、2・26事件以後の日本を、膨大な資料をもとに、「財政政策」を検証することから考えさせてくれる意味でも、目を通してほしい書である。

著者はあとがきで、学徒出陣で陸軍航空隊の通信兵として、最後は特攻隊の誘導機に搭乗することになっていたお父さまのことに触れている。財政を語りながらも熱い思いが行間から伝わってくるのは、あの戦争を生き抜いたご両親への気持ちが脈打っているからだろう。